オプジーボの値段が上がったもう一つの要因が、患者が少ない悪性黒色腫の治療薬として申請したことだ。予測患者数は年470人。少ない患者数で製造原価を割れば、1人が支払う値段は高くなる。
小野薬品は「治験で一番効果が確認されたのが悪性黒色腫。死亡率が高い病気でありながら効果的なクスリがないので、患者さんも製品化を待ち望んでいた」と説明する。
効果的なデータが出た分野で承認申請をするのは常道だ。その一方で「小さく産んで大きく育てる」という作戦も業界で珍しいことではない。患者の少ない分野で薬価を決め、用途が拡大すればもうけは増える。
肺がんへの処方が承認されたのは15年12月。対象患者は数万人に増え、小野薬品の株価は急騰した。
そこに、保団連から異議が出た。今年9月、オプジーボの薬価が「英国では日本の5分の1」という調査結果を明らかにしたのだ。
英国は、高額医薬品の費用対効果評価で先行しており、その結果、同じ100ミリグラムが1097ポンド(約15万円)に設定された。米国でも、メーカー希望価格が2877ドル(約30万円)で、実売価格はここからさらに20%値引きされている、と保団連はみている。
対象とする患者が増えても、それを迅速に反映して薬価を下げる仕組みが、日本の制度になかったのだ。現在あるのは、売り上げが予想の1.3倍以上になり、年1500億円を超えた場合、薬価を最大50%引き下げるなどとする「市場拡大再算定」というルール。しかし、見直しを反映させる機会は2年に1度に限られる。
オプジーボは、肺がん治療への適応が追加されてから、次の薬価改定まで約4カ月しかなく、値下げされなかった。売り上げが急増するのは今年度から。次の改定となる18年まで、小野薬品には巨額の利益がもたらされる流れになっていた。
中医協は緊急措置として、オプジーボの値下げに踏み切る検討に入った。下げ幅は25~50%で調整されているとみられるが、あくまで緊急措置であり、これで一件落着とはいかないだろう。
●タネより苗ごとが早い
薬価が高くなるのは硬直した日本の制度だけに理由があるのではない。底流には製薬業界で起きている新たな波がある。遺伝子組み換え、細胞融合などを駆使したバイオ医薬品の広がりだ。
比較的単純な化学合成でつくるのが主流だった時代に比べ、細胞やウイルスを用いて作るバイオ医薬品は複雑な工程を安定させないと一定の薬効を得られない。成功率は、極端に下がった。「1万に一つの成功」だった低分子医薬品の時代から、今では「3万挑んで商品化できるのは一つあればいいほう」とまで言われる。人手、時間、設備は膨大になり、コストに跳ね返る。
「製薬会社はタネから育てるのを諦め、世界を見渡し良い苗を探している。花がついた苗は値が高いが実を結ぶとは限らないからと、苗屋ごと買ってしまうこともあります」
ある厚労省OBがこう表現する、製薬の現状はこうだ。
世界の製薬大手は新薬を開発するために、もうかりそうな案件を探し求める。あたかも、投資ファンドのように。
国内最大手の武田薬品工業は10月、最大7.9億ドルを支払って英創薬ベンチャーと提携すると発表。アステラス製薬も今年2月、再生医療技術を使って目の病気の治療法を開発する米ベンチャーを3.8億ドルで買収した。米ファイザーは8月、有望ながん治療薬を持つ米バイオ医薬品大手を140億ドルで買収すると発表した。世界の製薬業界はマネーゲームの様相を深めている。
バイオ製剤は環太平洋経済連携協定(TPP)でも中心議題の一つだった。開発費を賄おうと、製薬企業は政治力も駆使して、特許期間の延長や薬価の高値安定を図ろうとする。作る側に任せておけば、薬価はどんどん高くなるだろう。
使う側はどうか。処方する医師はどこまで価格を意識しているだろう。払うのは保険、という安直さはないか。国民皆保険で、安心して医療を受けられるのはすばらしいことだが、患者も薬価に無頓着ではなかったか。食品も家電も旅行も、私たちは値段と効用をてんびんにかけて買っている。薬だって患者に選択権があるはずだ。保険財政がパンクする前に、まず今飲んでいる薬がいくらなのか、ほかに選択はないのか、確かめてみたい。(ジャーナリスト・山田厚史)
※AERA 2016年11月7日号