そんな幸運な微生物との邂逅(かいこう)を果たした人は、日本にもまだいる。72年、三共(現・第一三共)の研究者だった遠藤章さん(現・東京農工大学特別栄誉教授)は、6千種類以上の菌類を調べ上げた結果、京都の米屋で見つかった青カビから、コンパクチンと呼ばれる物質を発見した。後に「スタチン」と総称される物質の第1号であり、コレステロール合成に関わる酵素を阻害する作用がある。
現在、コレステロール低下薬として、メバロチンなど世界で7種類(日本では6種類)のスタチンが発売され、数千万人が服用している。スタチンは“動脈硬化のペニシリン”と評価される。当初、健常なラットではコレステロールを下げることができず、遠藤さんは開発を断念しかけたが、余分な血中コレステロールがある産卵鶏では劇的な効果が得られた。しかし、残念ながら当時の日本は、欧米とは創薬への積極性や執念に差があり、産学が協力する仕組みも乏しく、新薬発売では米メルク社に先を越された。
藤沢薬品工業(現・アステラス製薬)の研究者だった木野亨さんらは、筑波山の土壌の放線菌の産生物の中から、強力な免疫抑制物質を発見した。93年、既存の免疫抑制薬を上回るプログラフ(タクロリムス)という薬となり、移植医療を前進させた。後に、アトピー性皮膚炎治療の外用薬プロトピック軟膏なども発売された。
●感染恐怖を抱えながら
81年、後天性免疫不全症候群(エイズ)患者が初めて報告されると、明日知れぬ死病として世界中を恐怖に陥れた。しかし現在、エイズが死病でなくなったのは、熊本大学特別招聘教授の満屋裕明さんが発見した薬が化学療法への道を切り開いたためだ。
85年、米国立がん研究所に留学していた満屋さんは、実験中に自らも感染する恐怖と向き合いながらも治療薬開発に取り組み、元は抗がん剤として開発された逆転写酵素阻害薬アジドチミジン(AZT)に、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)の増殖を抑える作用があることを発見した。AZTは世界初のエイズ治療薬として、87年に米国で歴史的な速さで承認された。しかし当時、年間1万ドルという史上最高値の薬価が付けられたことや副作用の強さを憂えて、90年代に入り、ジダノシン(ddI)、ザルシタビン(ddC、後に製造販売中止)という第2、第3のエイズ治療薬も送り出した。