声明やメッセージへの反響は8割方は「ありがとう」「救われた」という賛同の声だったが、植松容疑者の考えに共振したような反応もあった。

「社会の役に立たない障害者に税金を使うより、仕事のない若者に税金を使え」

 しつこく続く誹謗中傷の電話に、体調を崩した「育成会」の職員もいた。

 久保さんは、事件の犠牲者19人全員が匿名で報道されたことにも、危惧を抱いた。障害児を育てる過程で、特に母親は社会から心無い言動を受けてきた経験が少なからずある。だからそっとしてあげてという意見の家族もいる。

 しかし、県警が事前に保護者に匿名にするかどうか意向を聞いたのは、障害者への差別意識の裏返しではないだろうか。つらい目の上塗りを避けようという県警の配慮は分かるが、その善意は実際は善ではない。障害の有無で実名と匿名を線引きすることは、共生社会の実現とは対極の考え方だ。遺族としても乗り越えていくべき課題だと、久保さんは思っている。

 共生社会の実現を阻害しているのは、教育現場の在り方ではないだろうか。久保さんの長男も保育園や幼稚園のころは、友達がファーストネームで呼んで遊んでいた。しかし、小学校、中学校、高校と進むにつれて学校現場では「健常者」と「障害者」は分けられて学ぶようになる。一緒に過ごす場がなくなれば、気持ちも徐々に離れていくことを実感した。

 事件を受け、さらに「分離」に拍車がかかるのではとも危惧する。厚生労働省が補正予算案に、施設の防犯カメラや塀の設置費用など対策に118億円を盛り込んだ。おカネの使い方を考えてほしいと、久保さんは思う。どこの施設も地域に開かれた運営を目指して苦労してきた。ただでさえ、街からは離れた立地の施設がほとんどで、そこに高い塀を建てて門を閉め切ったら周りからは見えないし、中で生活している人たちはその地域には「いない」存在になってしまう。逆に地域と密接に交流ができていけば、地域の視線もセキュリティーになるはずだ。そう心を砕いて施設を運営してきた。

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