津野庄一郎(つの・しょういちろう)/2000年にアルバイトで入社し、数年で現在の地位に。ゾンビショーは毎日のように会議をし、微調整する(撮影/岡田晃奈[人物]、朝日新聞社[チャート内]) (c)朝日新聞社
津野庄一郎(つの・しょういちろう)/2000年にアルバイトで入社し、数年で現在の地位に。ゾンビショーは毎日のように会議をし、微調整する(撮影/岡田晃奈[人物]、朝日新聞社[チャート内]) (c)朝日新聞社
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 上からはプレッシャー。下からは突き上げ。両方にさらされる存在が「課長」だ。日本経済が停滞する中、労働環境の厳しさも増している。それでも結果を出さねばならない。「課長」が大切にする基本とは。

 午後6時。ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)の薄暗い園内に、爆発音が響いた。チェーンソーを持ったゾンビが客の間からはい出してきたのだ。ゾンビから逃れようと反対方向に向かって走りだしたカップルがぶつかったのは、またゾンビ。どこから出てくるか分からない神出鬼没のゾンビたちに、園内はパニックに陥った。

 絶叫しながら逃げ惑う人々の表情を冷静に観察していたのは、津野庄一郎さん(46)。冒頭の「ストリート・ゾンビ」を含む「ハロウィーン・ホラー・ナイト」総合プロデューサーだ。

●ゲストを見失っていた

 津野さんがハロウィーンを手掛けるようになったのは2012年。企画の盛り上がりと軌を一にするように、USJの入場者数も増えた。今年は、イベント開始以降最大となる10のコンテンツを用意している。

 ヒットの原動力になったのは、上司の後押し。そして、アドバイスを聞き入れすぎるのをやめて、「ゲストの思い」からぶれなかったことだ。

 ハロウィーン・ホラー・ナイトのスタートは11年。発案は、USJの業績をV字回復させたことで知られるマーケターで執行役員の森岡毅さん(43)だ。「USJのターゲットはファミリー層」という原則に縛られてご法度だったホラーを導入。7万人程度の集客で赤字だったハロウィーンイベントに40万人を集めて、大成功をおさめた。「ホラーはウケる」。そう確信した森岡さんが、仕事や子育てに追われる20~40代の女性たちのストレス発散のためのさらなるホラーコンテンツ制作役に抜擢したのが、津野さんだ。彼は言う。

「僕、実はホラーが苦手なんですよ(笑)。でも、自信過剰な人間なので、プレッシャーはなかったです」

 翌12年、津野さんが手掛けたホラーアトラクションは興行的には成功し、津野さんは社長賞を受けた。しかし、本人はモーレツに反省したという。USJでは、アメリカから演出家やコンサルティングスタッフを呼び寄せて一緒に作品をつくるのが常。その海外スタッフの意見を「聞きすぎた」というのだ。

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