――カメラとの出合いは
4、5歳だったかな。カメラ好きの父親の横でポジを切ってマウントするのを手伝ったり、押し入れで現像タンクを回したりしていた記憶があります。父親はミノルタの6×6の二眼レフを使っていたんですが、はがきを切ってフィルターを作り、シネマスコープサイズにするなど変わった撮り方をしていました。だから小さいころのぼくのアルバム写真は、シネスコサイズなんです(笑)。また出雲大社で写真館をやっている母の実家へ遊びに行ったときは必ず、現像のために流れている水や長いペンで修整するのを見ていたりしましたね。
――最初のカメラは
中学生のとき、父親にコダックのカートリッジ式のトイカメラを買ってもらいました。これが最初のカメラです。ちょうどサブカルチャーブームで、アッジェやダイアン・アーバス、マン・レイに憧がれていました。ませはじめたころですよ(笑)。父の世代は娯楽というと、映画、写真、レコードで、それに影響されて育ちましたね。
――本格的にカメラを買入したのはいつごろですか
高校時代、バンドをやっていて、エレキギターがほしくて小遣いをためていたんです。念願のテレキャスターを買いに2万円を握りしめて街へ繰り出したんですが、なぜかカメラを買っちゃったんですよ(笑)。それがミノルタSRT101。
なぜだろう……。やっぱりカメラが好きだったんでしょうね。写真部の友達と宍道(しんじ)湖の公園で通路に架かるアーチ越しの水面など、芸術写真を気取って妙な構図で撮ってましたね。バンドのリードギタリストとベーシストも写真好きで、音楽をやりながら写真と文学についてよく語り合っていました。
――思い出に残るカメラは
7年前、仕事で行ったルーマニアの骨董屋でコンタックスIIIを見つけたんです。いちおう撮れるんですけど、露出計はあてにならないし、ボディーも光が漏れる状態でした。でも、形がカッコいいんで迷わず購入しました。日本円で1万円くらいだったかなあ。たぶん、ぼられたと思いますよ(笑)。ぼくは使えないとわかっていても、ほしくなる癖があるんです。たとえば、海外の骨董屋で8ミリのムービーカメラがあると、フィルムがもう製造中止で使えないのがわかっていても買ってしまう。カメラが好きな人って、そういうフェティシズム的なところがあると思いますよ。(笑)
――海外でカメラを探すことは多いんですか
骨董屋が好きなので、店をのぞいて気に入ったカメラがあれば買うこともあります。去年はロシアのサンクトペテルブルクの土産物屋で、ロモ135Mを手に入れました。以前、写真集で、女の子がロモで撮った作品を見て感動したんです。トイカメラでも結構うまく撮れるものですね。それで、ぼくもロモがほしくなった。今は旅公演やロケなどに携行してスナップを撮っています。基本的にはレンジファインダーカメラが好きなので、コンタックスS2やコンタックスT2、ベッサR、ベッサLを使っています。やっぱりツァイスレンズはいいですね。ライカは持っていません。(笑)
――ピンホールカメラも使ってますね
去年、インターネットで購入しました。たまたまオンラインショップ上で見かけて、娘の夏休みの宿題にもピンホールを通して「写真の原理」はちょうどいいと思ったんです。ぼく自身、昔から不思議な現象が好きで、写真が「風景を取り込む」のをいまだに魔法みたいに思っているんです。とんでもないことだと。そのことが認識できる瞬間が好きなんでしょうね。それは、カメラが原初的であればあるほどわかりやすいだろうと思ってピンホールも使っています。
カメラの性能としては焦点距離をつかみにくいし、露光時間も計りにくいので、撮影はかなり難しいですね。ただ、魔法を直接手で感じ取れるいちばんのカメラだと思います。
※このインタビューは「アサヒカメラ 2005年7月号」に掲載されたものです