『今宵その夜』
『今宵その夜』
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 クレイジー・ホースの中心人物であり、ニールのギター・パートナーであり、親友でもあり、『エヴリバディ・ノウズ・ディス・イズ・ノーホエア』や『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』に大きく貢献したダニー・ホイットゥンは1972年11月に亡くなっている。彼が負った心の痛手は『タイム・フェイズ・アウェイ』にも影を落としていたが、そのアルバムを生んだツアーが終わると、また大きな事件が起きた。信頼するローディーのひとり、ブルース・ベリーが亡くなったのだ。どちらも、ヘロインのオーヴァードースが原因だった。

 ベリーが他界したのは73年6月だが、その直後、ニールはかなり具体的な言葉で彼との想い出に触れた「トゥナイツ・ザ・ナイト」という曲を書き上げ、残されたクレイジー・ホースのメンバー二人にベン・キースとニルス・ロフグレンを加えた編成で小規模なツアーを行なっている(このユニットに彼はサンタ・モニカ・フライヤーズという名前もつけていた)。そして、彼らはそのままスタジオに入り、なにかに衝き動かされるようにして、ほぼ1日で10曲前後を録音したという。アルバム『トゥナイツ・ザ・ナイト』は、それらの曲を核につくり上げられたものだ。

 オープニングとエンディングに据えられたタイトル曲、やはり直接的に二人のドラッグ依存を歌った「タイアード・アイズ」、ニルスの鋭角的なギターが大きくフィーチュアされた「スピーキン・アウト」など8曲が、そのサンタ・モニカ・フライヤーズと録音されたもの。ローリング・ストーンズからの影響にも触れた「ボロウド・チューン」と美しい「ニュー・ママ」は弾き語り。さらに、72年暮れにストレイ・ゲイターズと録音していた「ルックアウト・ジョー」と、ホイットゥンの曲で彼がリード・ヴォーカルも担当した「カモン・ベイビー・レッツ・ゴー・ダウンタウン」(70年にフィルモア・イーストでライヴ録音されたテイク)が収められている。

 インナー・スリーヴに印刷された写真を見ると、ピアノの後方では、ホイットゥンらしき人形がギターを抱えて立っている。死のイメージが漂う暗い作品であり、明らかに意図したこととして、演奏も粗い。当然のことながら、レコード会社はリリースに消極的だった。『トゥナイツ・ザ・ナイト』が世に出たのは、完成からほぼ2年後となる、75年夏のことだ。[次回7/16(火)更新予定]

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