古今東西、独立国に外国軍を存在させようとすると、常に政治的圧力にさらされる。だから、国内で圧力が最も弱くなるところ、つまりマイノリティーのいるところに置くのが好都合なのだ。
沖縄戦の前年、1944年に米海軍省は、沖縄についての「ハンドブック」を策定した。この中にも、「日本と琉球の間には(米国が)政治的に利用しうる軋轢(あつれき)の潜在的な根拠がある」と書いてある(かっこ内は筆者が補足)。
●今も占領者の目で
日本と沖縄の関係性を巧みに利用し、沖縄に基地を置くように日本側に仕向ければ、そのことに日本人は良心の呵責を感じないため、永続的な基地使用が可能になる、と見ていたと解釈できる。
そんな米国の分析と洞察が正しかったことは、戦後70年の歴史で証明し尽くされている。そして、この「占領者の目」はいまも変わらないことを示しているのが、米海兵隊の資料なのだ。
米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設の問題もそうだ。6月5日投開票の沖縄県議選で、辺野古移設反対派で翁長雄志県知事を支持する候補者が48議席中27議席を占めた。中立の公明党4人を含めると、辺野古反対は31議席と圧倒的多数になった。しかし、この民意を日本政府は無視しつづける。
辺野古埋め立てをめぐり、政府は昨年11月、翁長知事を提訴した。訴状の中で政府は、外交、防衛にかかわる事柄について沖縄県ごときの出る幕はない、と言わんばかりに高圧的だ。司法が判断できない高度な政治問題だ、と裁判所さえ牽制している。
沖縄県は裁判で海兵隊の機能、運用など実態論を展開した。海兵隊を運ぶ海軍艦船が長崎県佐世保市に配備されているのだから、沖縄の海兵隊基地は船が隊員と物資を詰め込む「船着き場」でしかない。それは九州のどこでも代替可能である、と指摘した。
●一年の半分は沖縄不在
これに対し日本政府は、船に乗らない任務もある、と言い張った。いやはや、支離滅裂だ。海兵隊は1775年、海軍の一部として発足。今も実際に、米海軍の艦艇で世界の海を駆け巡り、沖縄の海兵隊も一年の半分以上は沖縄以外で訓練を行っている。
しかも、米軍再編によって在沖海兵隊は戦闘兵力の主軸である第4海兵連隊(歩兵)を米グアムへ撤退させる。沖縄残留兵力では小規模紛争でさえも対応できなくなる。再編後の海兵隊はもはや戦う兵力とはいえなくなる。
日本の政治家はだれもが、「沖縄の負担軽減」と口をそろえる。しかし、基地を引き受ける気はない。しかも、その結果として再編が進まない責任は沖縄に押し付け、果実だけを得ようとする姿勢は、破廉恥としか言いようがない。そんな安全保障政策の軽薄さは言うまでもなく、米国側に見透かされている。