「綱紀粛正」を宣言した在沖米軍は5月27日~6月24日を服喪期間として、沖縄の全ての米軍人・軍属とその家族に基地外での飲酒を禁止。6月3日には、政府の「沖縄県における犯罪抑止対策推進チーム」が、警察官100人増員によるパトロール強化や街路灯・防犯カメラの増設などを決定。翌日にシンガポールで開かれた日米防衛相会談では、日米地位協定で特権を保障されている米軍属の適用範囲などの運用の見直しを議論した。

 これらの「対応」を、比嘉氏はこう切り捨てる。

「政府の対応や対策は場当たり的で、県民の反発と反感を増幅しただけ。県民には既視感しかありません」

 95年10月、沖縄本島で起きた米兵3人による少女暴行事件に抗議して開かれた「県民総決起大会」。当時、琉球大学教授で会場にいた江上能義・早稲田大学大学院教授(政治学)は、予想を超える8万5千人(主催者発表)という参加者の多さに息をのんだという。

「沖縄の人々の基地に対する怒りが、残酷な事件で噴き出すのを目の当たりにしました」

 95年の県民大会から20年余が経過しても、状況はほとんど変わっていない。

 地位協定は「運用の改善」が図られたが、米軍関係者の事件事故はとどまることがない。96年に日米政府が合意した普天間飛行場の返還は、「県内移設」がネックとなり、立ち往生したままだ。再発防止策や綱紀粛正は一時の「気休め」程度にしか機能していない。

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