東大法学部で鳩山邦夫と首席を争った、天才政治学者の政治資金流用疑惑。ドケチ、タカリの人物像はいかにして形成されたのか。
すでに「釈明会見」も3回目。記者からの追及にも慣れた様子で、5月27日の会見では、舛添要一東京都知事(67)にはかつてのプライドの高さが戻っていた。
「疑惑のすべてが黒という訳ではない。今にでも言いたいことはありますよ」
先週の会見では声に弱々しさをにじませていた。しかし、政治資金の私的流用疑惑などについて元検事の弁護士2人へ調査依頼を済ませたことで安堵したのか、受け答えにはどこか自信が見受けられた。とくに、回答を引き延ばしているのではないかとの追及に対しては、
「まったく違います! 集中して(調査を)やることが最大の目的であって、厳正にやらないといけない。一日も早く結果を出すために(弁護士名を明かさないという)判断をした」
自身の能力に絶対的な自信を持ち、人を見下さんばかりの高いプライドを持つ舛添氏。外遊の往復はファーストクラス、宿泊は最高級ホテルのスイートルーム。部屋で要人と会うこともあるから仕方ないのだそうだ。
●生活保護の姉の扶養要請を断る
他者への比類なき攻撃性と、自分の欲望を満たすことにかける絶対的な情熱の源流を辿った。
「あんなにウソばっかりついて他人を傷つけて、いつか要一は手痛いしっぺ返しを食らう。5年前にそう言い残して膵臓がんで亡くなった、母の予言通りになりましたね。ずっと詐欺のようなことをしてきたのですから、同情の余地はありません」
舛添氏の姪がそう語る母とは、11歳年長の長姉のこと。4人の姉を持つ末っ子として八幡市(現在の北九州市)で生まれ育った舛添氏は、中学2年で父・弥次郎さんを亡くした。戦前は炭鉱を持ち、戦後は市場で八百屋を経営していたという父が死んでから、舛添家は教員資格を持つ長姉と、長姉と結婚した会社員の夫が大黒柱になった。成績優秀な舛添氏を東大進学で東京に送り出した長姉夫妻は、年の離れた舛添氏を我が子のように可愛がった。東大の体質を批判して1989年に教員を退官、国際政治学者としてテレビの討論番組に出演するようになると欠かさずビデオ録画して応援していたという。