磯田:もとになった『國恩記』は希有な古文書で、発せられた言葉で書かれている。「『……』と穀田屋十三郎はしゃべった」、それに対して「『……』と菅原屋篤平治は答えた」という書き方。近代小説みたいでしょ。僕はそれを生かしながら「穀田屋十三郎」を書いていきました。

阿部:先生は今回出演もされましたよね。

磯田:あれは恥ずかしい。だって、磯田道史は磯田道史の思想を伝えるためにいるんです。どうして人の書いた言葉を話す必要があるのか。役者と学者は違うんだよという気持ちがあるわけです(笑)。僕だとわからないように今より9キロ太りました。友人の堺雅人さんをまねて、撮影の3日前から雪駄で過ごしていたんですが、ちっとも役に立たなかった!

阿部:ちゃんと役づくりをしているじゃないですか! 現場の雰囲気は良かったですよね。

磯田:この映画は成功すると確信したのが、あの名優・山崎努さんが「いい現場だった。これはいい映画になるよ」と言って帰ったと聞いた瞬間。もう大丈夫だと思いました。

阿部:僕はそんなこと全然聞かされていなかったなぁ。今初めて知りましたよ。僕は磯田先生と違って役づくりは特にしていなかったんです。でも、兄弟と親とのかかわりがわかるまでの芝居では、僕が演じた十三郎がなぜこれほどまっすぐに町を救おうとしているのか、弟が金を出すことになぜそれほど拗ねるのかなど、観客に疑問を持たせたかったんです。そこを監督と話し合いながら、(相棒の)瑛太君演じる菅原屋篤平治とのかかわりを作っていきました。

磯田:僕が監督に一つお願いしたのは、人が変わる瞬間を丁寧に撮ってほしいということ。自分のためではなく宿場町を救うために破産も覚悟で私財をなげうつ。一銭も得にならない企てに、どういうきっかけで人間が本気になるのか。例えば、寺脇康文さん演じる遠藤幾右衛門は、このままだと宿場が税を払えなくなり、将来、息子が責めを負わされ獄死すると思ったから。ただ、後になって僕のお願いは、釈迦に説法だったと反省しましたけど。

(構成・フリーランス記者・坂口さゆり)

AERA 2016年5月23日号より抜粋

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