精神科医宮島賢也みやじま・けんや/自律神経免疫療法の湯島清水坂クリニック院長。1973年、神奈川県生まれ。著書に『自分の「うつ」を治した精神科医の方法』など(撮影/坂口さゆり)
精神科医
宮島賢也

みやじま・けんや/自律神経免疫療法の湯島清水坂クリニック院長。1973年、神奈川県生まれ。著書に『自分の「うつ」を治した精神科医の方法』など(撮影/坂口さゆり)
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 自らもうつ病を患った経験のある、精神科医の宮島賢也さん。激務の中、診断され病名が付いたことでホッとしたという。治療には、生活習慣を整え、考え方を変えることが大事だと訴える。

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 僕は1999年、母校の防衛医科大学校で研修医をスタートしましたが、一番つらかったのは、循環器内科の研修医だった時です。医師免許を取得して1年、臨床研修も1年程度の経験しかないのに、看護師に指示を出さねばならず、不安で仕方ありませんでした。

 病棟業務は早朝から始まり、夜は膨大な量のデータ整理、カルテ書きが待っています。研修医が提出しなければならない回診のレポートは、同期が要領よくやっているのに、僕は「完璧に仕上げないといけない」と思い込み、大事なデータと大事でないデータの区別もよく分からず、徹夜になることも度々。重篤な患者さんが多い循環器内科は24時間いつ呼び出されるか分かりません。体も心も休まる時がなく、1、2カ月たつとしんどくなってきましたが、ラグビー部根性で病棟には出ていました。が、僕の様子がおかしいことに周りが気づき、結局、医局長から1カ月休むように言われました。

 休み中も「僕は医者としてやっていけるだろうか」と不安は大きくなる一方でした。復帰前、循環器内科は無理だと考え、総合臨床部へ異動。こちらは、夜はほとんど呼び出されず、以前より体は楽になりました。ところが、やる気は戻りません。集中力に欠け、「早朝に目が覚める」「食欲がない」という状況は変わりませんでした。

 勤務先の精神科を受診すると、診断は「うつ病」。実は、診断されてホッとしたんです。僕が仕事ができないのは病気だからだと納得できた。「病名」が必要だったんですね。しかし、処方された抗うつ薬などを飲み続けましたが、症状は重くなったり、軽くなったりの繰り返しでした。

 再度、研修先を精神科に変えたのは、自分のうつを治したかったことと、うつ病にははっきりとした「診断基準」があるため、これなら自分の診断にも不安を抱かないだろうと思ったからです。ところが、間違った診断をすれば、その患者は一生、誤った薬を飲み続けるかもしれないと思い始めたら、常に誤診におびえるようになりました。

 自分自身のうつも患者も治せないまま7年。医者を辞めたくても、今後のお金の心配から辞められません。そこで『金持ち父さん貧乏父さん』を始め、何冊もお金の本を読み、医者を辞めても稼ぐ方法を模索しました。そんな僕にとって大きな転機となったのが、『成功の9ステップ』という成功哲学本との出合いです。医者は病気の専門家であって健康のことを知らない、という指摘に衝撃を受けました。僕自身、病気の治療については学んでいても、健康には疎かったからです。

 うつを治すには生活習慣を改善し、考え方、生き方を変えることがポイントです。今では、病気治しより生き方直しを提案しています。僕自身、「自分を楽にする考え方」を探り、言葉や人間関係を変えました。同時に、食生活も果物や野菜、玄米を食べるように。職場に玄米ご飯を持参し、キュウリ、ピーマン、キャベツ、にんじんなどを生のままかじることもありました。

 医師としても、「患者さんは病気で自らの生き方を変えるチャンスをもらった。患者さんが主役で僕はサポーターなんだ」と気づくと、気持ちが楽になりました。うつは「それを続けると苦しいよ」という体からの愛のメッセージだと感じています。

AERA 2015年7月6日号より抜粋