安倍政権が、働いた時間に関係なく賃金が決まる新しい働き方の導入を進める。だが、シミュレーションからは最悪のシナリオも見えてくる。
202X年。法人向けにオフィス機器を販売する会社に勤める、40代の営業職男性Aさん。年収は約600万円だ。机や椅子、パーテーション…オフィスのスペースやコンセプトに合わせ、一社ごとに提案書を作る。顧客がオフィス移転などを行えば、その在庫確認に夜遅くまで追われることもある。
2015年以来の法改正後、会社側からの強い要望で、Aさんは、一般の労働時間制から裁量労働制への契約変更を受け入れた。上司には「年収も業務も変わらない」と言われたのに、残業代が出なくなったことで、給与の手取り額は大きく減った。
ただ、「裁量」で自由な時間が少しできるかも、との淡い期待があったが、やがて、急に威圧的になった上司が「会社は苦しいんだ」と、有無を言わせずノルマ増加を課し始めた。
日中は営業に出っ放しになり、事務作業は休日出勤で賄うことに。業務量は増える一方で、残業時間は、国に労災と認定される「過労死ライン」の月80時間を上回り、100時間を超える月も。やがて、Aさんはうつ病を発症してしまう…。
これは、政府が「時間に縛られず創造的な仕事をする人のニーズに応える」と意義を強調する一方で、労働側が「残業代ゼロ制度」だと反発する新制度の適用が拡大していったと仮定した場合の、最悪のケースのシミュレーションだ。
だが、長時間労働がはびこる日本の状況が変わらなければ、どんなに働いても収入は一定という「先の見えない」働き方が、現実に訪れるかもしれない。
一定基準を満たした従業員に残業代などが支払われない「高度プロフェッショナル制度」を第1次安倍政権では、「ホワイトカラー・エグゼンプション(WE)」という名で審議されていた。
日本企業では、1日8時間、週40時間以内という法定労働時間が決められている。通常、残業には時間外手当が、休日や深夜勤務にも相応の手当が支払われるが、この制度下では年収1075万円以上の専門職など、対象となる労働者には支払われない。冒頭のAさんの業務は、「法人向け課題解決型提案営業」として、裁量労働制の対象に新たに含まれることになる。
13年の労働政策審議会労働条件分科会の資料によると、週60時間以上の労働をしている人は全雇用者の9.1%、30代男性に絞ると18.2%にも及ぶ。法定労働時間の上限は週40時間であることから、彼らは週に20時間、月にして80時間以上の残業をしている計算になる。日本では今、実に2割近い労働者が、過労死ラインで働いていることになる。
このような現状で新制度を導入することに、弁護士でブラック企業被害対策弁護団代表の佐々木亮さんは強く反対する。
「この制度は、言い換えるなら『定額働かせ放題制度』。働きすぎの日本では、働く人の健康や命を奪いかねません」
※AERA 2015年4月6日号より抜粋