俳優・高倉健さんの訃報が公表され、メディアは連日その死を悼む声を伝えている。高倉さんを30年取材したライターが、その知られざる素顔を明かした。

「本人の生き方が必ず芝居に出るんですよ」
 
 11月10日、悪性リンパ腫のため83歳で亡くなった高倉健さんは口癖のように語っていた。もともと食うために始めた俳優業だった。だが、「悔いなき人生」にこだわり、役になりきり人々を魅了した。出演作205本の大半で、「前科者」、社会の底辺を生きる人々を演じた。

「僕がいちばん大切に思うのは心ある人としての生き方、一つのことを貫く生き方。そういう人間は少なからず孤独な作業に命をさらしている。その状況で揉まれに揉まれ悶え苦しんだ者だけがやさしくてしなやかな心を持つことができる」(「アサヒグラフ」1994年8月5日号)

 ライターとして30年近く取材した谷充代さんは、そんな高倉さんの素顔を見た一人である。その顔は世の中で言われる「寡黙で不器用な男」とは違った。

「高倉さんの一番の趣味はおしゃべりだったと思います。気の置けない人との会話が大好きで、夜型のため、話し始めると、周りを寝かせてくれませんでした」

 人を笑わせるのも好きで、ユーモアのセンスがあった。一度縁を結ぶと、何年たっても冠婚葬祭では贈り物や便りを届けた。その優しさと気づかいの陰には高倉さんの深い孤独があったのではないかと谷さんは見る。

「寂しがり屋で、心を通じ合っていたいというメッセージだと思います。心の奥深いところに埋められない穴があったのではないでしょうか。以前、健さんが愛する人たちを喪(うしな)った悲しみを語ってくれたことがあります」

 高倉さんは、最愛の母が亡くなったとき、撮影中で葬儀にも行けなかった。いつも旅先には鞄に母の写真を忍ばせ、部屋の一番いい場所に飾り、花を手向けたという。

 自宅の全焼、江利チエミさんとの離婚と、「かけがえのないものが一瞬にして消え去る」体験もした。再婚はしなかった。

「情が深い人だったから、人に情をかけると際限なくなるので、自分をあえてストイックな状態に置いたのではないか。まるで修行僧のようでした」

AERA  2014年12月1日号より抜粋