今年6月、東京と横浜で開かれた「国際幹細胞学会」のイベントで、高校生や父母ら一般人約500人を前に、京都大学iPS細胞研究所長の山中伸弥(50)が話し始めた。
「たった数ミリの皮膚の細胞でした、もともとは。それをiPS細胞に変えて、そこから作った心臓細胞です」
スクリーンに、ピクピク拍動する細胞の動画が大写しに。
「ぼくの父親は小さな工場でミシンの部品を作っていたんですが、同じように作っても出来のいいのと傷の入ったのができる。品質検査で悪いのをはじくんですが、(iPS細胞を作るときも悪い細胞をはじくので)なんか父親と同じことやってるなあって……」
巧みな比喩(ひゆ)で、iPS細胞の作り方の秘密を一瞬で聴衆にわからせてしまっていた。
山中にとって、プレゼンテーションは研究の「命」である。
2003年、奈良先端科学技術大学院大学の教授ではあったが、研究費は年に数百万円しかなく困っていた山中は、8月4日、ある面接に臨んだ。日本の研究開発を後押しする科学技術振興機構(JST)の大型研究プロジェクトに応募したのだ。
当時、大阪大学総長でバイオ界の「ドン」岸本忠三が総括するプロジェクトの名称は「免疫難病・感染症等の先進医療技術」。そこへ、山中は「真に臨床応用できる多能性幹細胞の樹立」という、免疫には無関係のテーマで「殴り込み」をかけた。
岸本の前で使ったプレゼン用スライドの一枚が「涙目のネズミ」である。
何にでもなる幹細胞といえば、当時は受精卵から作った「ES細胞(胚性幹細胞)」だった。しかしそれには、生命の萌芽である受精卵を壊さなければならない、がんを作る可能性がある、といった問題があった。
プレゼンでは、涙目の受精卵と、がんのできたネズミを手描きの絵にして岸本に見せ、「だから理想的な幹細胞を樹立する必要がある」と、iPS細胞の原型となる考え方を主張した。
「分野違いだ」「そんなことできるか」という声もあったが、岸本は「発想がユニークで元気だし、きちんとした研究をしている」と評価、03年度に選ぶ4件の一つにした。これで、山中は年間5千万円の研究費を5年間得られることになった。ちょうどiPS細胞の芽が出かかっていた時期で、決め手となる実験ができるようになったのだ。後に京大の再生医科学研究所が山中を奈良先端大から引き抜いたのも、このヘタウマ絵のプレゼンのおかげといっていい。
(文中敬称略)
※AERA 2012年10月29日号