




定年後、都会の喧騒(けんそう)から抜け出して田舎でゆっくり過ごしたいと思う人は少なくないだろう。だが、交通の便や病院のことを考えると、完全移住はハードルが高い。そこで注目されるのが、都会と田舎の「2地域居住」だ。実践している人たちに話を聞いた。
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■「孫を連れて都会を飛び出して」
「2地域居住」の先駆者と言えるのが、柳生博さん(83)だ。約40年前に家族を伴い、八ケ岳南麓(なんろく)の山梨県北杜(ほくと)市(旧・大泉村)に住みかを構えた。同市は人口約4万7千人で、東京からJRの特急「あずさ」(新宿‐小淵沢)で2時間ほど。柳生さんは俳優や司会、ナレーションなど多彩に活躍しながら、都会と田舎を行き来する生活を続けている。
拠点を移すきっかけは、長男へのいじめだった。テレビを付ければ、1日に2、3回は登場するほど多忙な時期のことだった。
「家に帰れないほど売れっ子になってね。久しぶりに家に帰って、玄関にそのまま倒れ込んでいたら、小学生の真吾が額から血を流して帰ってきた。訳を聞いても言わない。一緒に風呂に入って、洗ってやって、やっと口を開いた。上級生から『おまえのおやじ、昨日人を殺していただろ』って言われ、反抗したら殴られたと。僕は役者だからね」
それまでにも流血は何度もあったと、妻(女優の二階堂有希子さん)から知らされる。家族が家族でなくなる「溶けていく」ような危機感を抱いたという。
「悩んでいるときは、野良仕事をしろ」という祖父の言いつけを思い出し、1979年に一家で東京から拠点を移した。
八ケ岳の麓(ふもと)を選んだのは、13歳のころに一人旅をして地元の人に助けてもらったからだ。国鉄(現・JR)小海線(愛称・八ケ岳高原線)の駅で、野宿をしたときだった。
「声をかけられてね。開拓民だったんですよ。『おまえ、風呂に入ってないだろ』って、掘っ立て小屋の家で五右衛門風呂に入れてくれた。親に捨てられたのかと思われてね」
拠点を移した当時を、こう振り返る。
「まだ八ケ岳に別荘が立ち並ぶ前、中央自動車道さえ部分的にしか通っていなかったころでした」
柳生さんは東京で仕事をしながら田舎で「野良仕事」をし、約35年かけてこだわりの雑木林をつくりあげた。荒れ果てていたスギやカラマツなどの人工林の枝打ちをして光が差し込むようにすると、地面に草花が芽吹き、虫や鳥が集まるようになった。
「暗闇の中、ヘッドランプを付けて野良仕事をしていたら、突然、警察官に叫ばれたことが何回もあった。危ない奴がいると思って通報されたんでしょう(笑)」