帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など多数の著書がある
帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など多数の著書がある
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※写真はイメージです (c)朝日新聞社
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 西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。老化に身を任せながら、よりよく老いる「ナイス・エイジング」を説く。今回のテーマは「竹馬の友との再会」。

*  *  *

【ポイント】
(1)二人は隣り合わせの家に生まれた
(2)あっという間に昔の間柄に戻る
(3)俺、先に行く。いずれまた、向こうで会おう

 竹馬の友という言葉があります。いまの子は竹馬で遊んだりしないでしょうが、私の時代では、実際に竹馬で一緒に遊んだ幼なじみがいます。

 そんな竹馬の友「てっちゃん」と再会することになりました。

 二人は隣り合わせの家に生まれました。太平洋戦争が勃発して間もない1942年に一緒に小学校に入学、戦中戦後を共に過ごしました。高校は私が都立高校に進んで映画少年を決め込めば、てっちゃんは市立商業高校の柔道部で勇名をとどろかせました。

 私は大学の医学部に進み医師を目指し、てっちゃんは製薬会社に就職。その後の接点はありませんでした。ただ友人を通じて、製薬会社で工場長までのぼりつめたという彼の消息を耳にしていました。

 もう数年前になりますが、そのてっちゃんが、突然、私の前に現れたのです。彼は肺がんを患い、あらゆる治療法をもってしても進行が止められず、緩和ケアをすすめられて私のところに来たのです。

 そんな状態なのに、てっちゃんに暗さはまったくありません。2週間ごとの受診にきっちりやってきます。医師と患者の関係になりましたが、竹馬の友というのはありがたいですね。長い間、付き合いがなかったのに、あっという間に昔の間柄に戻りました。

 2、3回来院したところで、てっちゃんが、

「どうです。旧交をあたためるために、一杯といきますか」

 と言ってきました。緩和ケアの患者さんと一杯というのは、医師としてどうかともいえますが、同じ酒好きの私としてみれば、これこそナイス・エイジングという思いです。

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