そう振り返る錦織の表情はリハビリ中ながら、明るかった。集中力を妨げていた右ひじさえ完治すれば、試合中に敵の弱点を見抜く情報収集力や、フォアハンドの決定力も取り戻せる。そんな自信がうかがえた。

 12月29日、錦織は30歳の誕生日を迎えた。

「ちょっと30代に入る嫌な感じはありますけど。体感として衰えとかは感じていない」

 一方、30代を迎えるにあたり、自発的に変えた面もある。

「けがにつながったのも、フォームとか、体の使い方が絶対ある。そこをしっかり12月に治したい。少しフォームを見直そうかな」

 リハビリに付き添ってくれる日本テニス協会のナショナルチームの高田充コーチらと、サーブやフォアハンドのフォーム改良について、科学的なデータを基に取り組んだ。

 また、9シーズン一緒だったアルゼンチン出身のダンテ・ボッティーニ・コーチ(40)との契約を解消。新たに元男子ダブルスの世界ランキング1位、ベラルーシ出身のマックス・ミルヌイ氏(42)の就任を発表した。錦織と同じ米フロリダ州のIMGアカデミーを拠点とし、錦織が13歳で渡米して間もないころから練習していた間柄だ。

「選手に合わせられる人なのかな、というのを感じてます。自分の考えを押しつけるんじゃなく、体のこととか、プレースタイルとかを一緒に考えてくれる」

 現役時代から真摯にテニスに向き合うタイプで、錦織との相性は良さそうだ。

 新シーズンは、東京五輪イヤーだ。テニスの世界では、五輪至上主義で騒ぎ立てる日本メディアの風潮にまゆをひそめる向きもある。4大大会やふだんのプロツアーで高額賞金を稼ぐプロテニス選手にとって、五輪は究極の目標にはなりにくい。錦織も同じだろう。

 ただ、錦織は五輪との巡り合わせが良い。アスリートの中で、4年に一度の周期に自身のキャリアのピークが合う選手、合わない選手は確実にいる。

 錦織は前者だ。初陣だった08年北京五輪の切符は国際テニス連盟の推薦枠で射止めた。出場が決まったときの世界ランキングは103位。男子シングルス出場枠の64人の圏外だったが、その年の2月のデルレービーチ国際で日本男子として史上2人目のツアー優勝を飾り、ウィンブルドンにも男子最年少の18歳5カ月で出場した将来性が評価された。

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