五木:うーん、なるほど。しかし今日、大竹さんと他力の話ができるとは思っていなかったな。結局、舞台というのも、演者のそういう感情や多くのスタッフの力がスパークして、できあがるものなのかも。
大竹:だから乗せられて、なんとなくできてしまう(笑)というところでしょうか。お芝居は、反応がとてもダイレクトですが、小説はどうでしょう。
五木:ダイレクトではないけどね。いま、時代が自分を必要としている、とか、いない、と感じることはある。
大竹:先生にも、そんなことがあるんですか?
五木:僕は72年と81年に2度休筆というのをしてるんですが、そのときがそうでしたね。僕なんかはいわゆる流行作家というポジションでやっているわけですから。世の中に必要とされなければ流行作家とは言えないでしょ。
大竹:その間、何をされていらしたんですか?
五木:まあ、ぶらぶら。一応、京都で龍谷大学の聴講生になりました。念仏禁止令を出していた島津藩に隠れて、人々が伝えてきた念仏を「隠れ念仏」と言うんですけど、九州出身なので興味があって、それを勉強しに行ったんです。僕は大学を中退していて、まともに勉強していないから、ちゃんと勉強したいという思いもありまして。
大竹:信介しゃん……。重なりますね。
五木:思い返しても、ほんとにいい時間でしたね。僕が教室の一番前に座って、最後に「はい!」と手を挙げて質問するもんだから、早く帰りたい学生から文句が出たり(笑)。
大竹:そこから親鸞にもつながったのですか?
五木:さあ。そういうつながりもあるんでしょうね。まあ、ダメな奴でも念仏を唱えれば「何とかなるよ」と言われれば、ほっとするというか(笑)。
大竹:先生ならではの視点ですね。お書きになった『大河の一滴』でも、平和とか愛とか、よく言われるのとは違うお考えを書いていらっしゃる。例えばここぞ地獄という場所で優しい人に会ったら、そこが天国になるというような。
>>【後編/「この国は、歌の国」五木寛之と大竹しのぶが語る“令和の日本”】へ続く
(構成/福光恵)
※週刊朝日 2020年1月3‐10日合併号より抜粋