TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。今回はギタリスト・村治佳織さんについて。
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3列目の真ん中、ステージに向かって少し左寄りの席だった。
「私の指の動きも見ていただきやすいですね」
村治佳織さんのメッセージに、彼女と都響で共演したマエストロ井上道義さんの言葉を思い出した。「演奏は暗く燃え、一点の曇りもなかった。若葉のような手先……」
かおりんこと、村治佳織さんのコンサートに行ったのはこの10月(横浜みなとみらいホール)。
ギターは人に抱かれて音を奏でる。彼女が奏でる音色はホールの隅々まで行き渡り、美しいレースのように聴衆を包み込んだ。メロディは毛並みの良い猫のようにホール全体を柔らかく撫で、極上の時間が訪れる。
「女寅さんになって旅したい」
そんな彼女と瀬戸内海を取材旅行したのは2年前だった。ホーム真下に瀬戸内の波が打ち寄せる四国・予讃線の無人駅でかおりんがギターを取り出した。冬だったから周囲の音は少なく、その分、周囲の海や山が息を潜(ひそ)めて彼女の「カヴァティーナ」に聞き入っているように思えた。
漱石の「坊っちゃん」に描かれた松山の道後温泉にも足をのばした。
日本三大古湯の一つで、本館一番上、入母屋造(いりもやづくり)大屋根の上に塔屋があり、小窓を開けると、雪が舞い降り始めた。四国では滅多に降ることがない。録音機の音量計を眺めていたら、針の微震に雪の蠢(うごめ)きまでが含まれている気がした(とにかく寒く、収録後、温泉で温まったのは言うまでもない)。こうして瀬戸内のそこかしこが村治佳織の音楽世界になった。
「子どもの頃から目に見えない音が人の心を動かすことを不思議に思っていた」(読売新聞2019年10月30日付)というかおりんの演奏はまばゆくも奥深く、聴く者の心に思い出が浮かび、さながら映画館にいる気分になる。