トルコ南部からシリア北部にかけて発生した大地震による死者は4万人以上に上る。地震大国と言われるトルコでは「人災」の側面も指摘されている。AERA 2023年2月27日号の記事を紹介する。
【写真】へその緒がついたまま、崩壊した建物から救い出された女の赤ちゃん
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トルコとシリアを襲った大地震で、両国合わせて死者は4万2千人を超え、負傷者は少なくとも11万人に上っている。家を失ったのは約100万人とみられる。
震源地から北西に700キロ近く離れたトルコの首都アンカラで暮らす土日(とにち)基金副理事長のエミン・オズダマルさん(61)は、地震が発生した6日午前4時17分(現地時間)を振り返る。
「自宅で寝ていましたが、少し揺れて目が覚めました。家にある物がガチガチと音を立てたけれど、棚から物は落ちないくらいの小さな揺れでした」
トルコは地震大国だ。30秒ほど揺れたが、数カ月前に西部であった小規模地震と同じような揺れだと感じたため、再び眠りについた。大規模な地震だと知ったのは、朝になってテレビニュースを見てからだった。
「まるで一帯に大きな爆弾が落ちたような状況でした」
■「やるせない気持ち」
十数階建ての建物が崩れ、がれきが山のように積み重なっていた。オズダマルさんらは地震から3日後、被災地と調整して毛布1600枚と水2万5千リットルをトラック2台で送り出した。1999年のトルコ北西部地震のときに兵庫県から送られた義援金をもとに作られた基金を活用した。
「自分は暖かい部屋にいていいのか、温かい食事を食べていいのか、つらい気持ちになります。避難者のフォローに力を入れます」
被災地へのさらなる支援のために兵庫県と意見交換している。
NPO法人「難民を助ける会(AAR Japan)」の柳田(やなぎだ)純子さん(49)は2012年、今回被災したトルコのハタイ県に駐在した経験がある。シリアとの国境の街で難民の支援をしていた。
「建物は高くないけれど、街並みはきれいで、小さな商店が並んでいました。おいしいレストランも多かったです。オープンマインドな現地の方々によって支援現場は支えられました」
当時、ハタイの現地職員だった男性のフェイスブックには、幼い息子ががれきの下に残されているという悲痛な投稿がされていた。柳田さんも無事を祈ったが、13日に息子が亡くなったと投稿されていた。
「本当にやるせない気持ちです」