「ホールはそれぞれ鳴りが違います。ピアノにも個体差がある。鍵盤の感触が軽かったり、重かったり。硬質の音だったり、暖色系だったり。弾くことによって、その会場、その楽器に合わせて、自分をチューニングしていきます」
リハーサルのときから、ひろみは伝統ある会場の空気を感じていた。
「伝統ある会場で演奏することに身が引き締まる思いでした。クラシックであれ、ロックであれ、歴史あるホールには特別な空気があります。私はいつでもどこでも自分の持つ最高以上の演奏をする覚悟でステージに上がります。それに加えて、歴史のある会場だからこその魔法というか、力を感じました。コンサヴァトリー・グレート・ホールでは、私はいつもの何倍もうまくピアノを弾けていると思えました。音が天から降り注いでくるような響きでした。壁やフロアにも反響して、音が生きていて、喜んでいるようにも聴こえました」
最後の曲を弾き終えるとステージ前にオーディエンスがあふれ、抱えきれないほどの花束を贈られた。
「花束を渡すのは、ヨーロッパならではの文化なのでしょう。とてもうれしかった。このホールにずっといたい、住んでしまいたいと思ったほどです」
モスクワ公演後ひろみはバルト三国のラトビア共和国へ。この国の面積はわずか約6万5千平方キロ。九州と四国を合わせたくらいだ。人口は約200万人。札幌市よりは多いけれど、名古屋市よりは少ない。
ひろみは空路で首都リガへ行き、その先は陸路で250キロ、コンサートを行う町、リエパーヤへ向かった。初めて訪れる街だ。
リガの空港でひろみは空腹を覚えた。
「途中、サービスエリアで軽く食事をとらせていただけますか?」
ドライバーにリクエストした。しかし、それはできない、とドライバーは却下。
「なぜ食事がとれないのか、走り出してわかりました。ホテルに着くまで3時間弱、レストランはもちろん、サービスエリアもありません。林の中をただ走っていく。ときどきガソリンスタンドがあるだけです」
途中で突然、ドライバーに、リンゴを食べるか?と聞かれた。道端でリンゴを売っている人がいたのだ。しかし、ひろみが答えに躊躇(ちゅうちょ)していると、あっという間にリンゴ売りは後ろに遠く小さくなっていった。
やっとたどり着いたリエパーヤの人口は約7万人。