新宿瑠璃光院の「如来堂」で、永樂達信さん。元同僚にも読経を頼まれる (撮影/写真部・小黒冴夏)
新宿瑠璃光院の「如来堂」で、永樂達信さん。元同僚にも読経を頼まれる (撮影/写真部・小黒冴夏)
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 定年後、関連会社等に希望したポストを得られるのは一握り。「再雇用で、元部下に使われるのはイヤ」「会社は“卒業”したい」といった声もよく聞く。かといって、現役時代の社内階級など“売り”にならない。今さら他の業界のことなど分からないし……と悩むことなかれ。何歳からでもスタートは切れる。

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 新聞記者から僧侶に転身したのは、永樂達信さん(79)。浄土真宗の光明寺(岐阜県)東京本院、新宿瑠璃光院(渋谷区)の副住職だ。法衣姿が板についている。

 長野県の信濃毎日新聞の記者だった。「記事を書いて、広く読者に影響を与える。時には行政も動かす。正義を振りかざして仕事をしてきたわけですが、事件の加害者を批判する記事を書いて、関係者らの心の痛みに追い打ちをかけたこともあっただろう。そう思え、罪滅ぼしに、人の苦悩を和らげることをしたくなったんです」と僧侶を目指したきっかけを話す。

 定年直後に第二の職場として県の外郭団体に勤めた時期に、社会福祉協議会で研修を受け、老人施設で傾聴ボランティアをした。お年寄りに「死んだら、どこに行くのか」と聞かれ、返す言葉に詰まった。そんな折に、雑誌に載っていた「僧侶への道──東京国際仏教塾 塾生募集」という広告が目にとまった。

 東京国際仏教塾(渋谷区)は、今、永樂さんが勤務する光明寺の住職が1988年に手弁当で設立した。通信教育と体験修行で仏教を教える、宗派の枠を超えた社会人対象の塾である。授業料は入門課程が9万8千円、宗旨専門課程が13万円。永樂さんは第二の職場を辞め、64歳で入塾した。

「人は死んだらおしまいと考える人間でしたから、勉強内容に戸惑うことも多々ありました。最初のうち、仏教の教えが前世、現世、来世の三世を前提に成り立っていることが受け入れ難かったんですが、それは生き方のテクニックだと捉えるように変わりました」

 入門課程を終え、宗旨専門課程へ。伝統7宗派の中から永樂さんは浄土真宗を選んで履修。卒塾後、さらに声明(しょうみょう)などを深く学び、入塾から1年半で得度した。

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