金を持たずに東京へ行ったこともある。もう十五年ほど前、なにかの文学賞の贈賞パーティーだった。
その日は家から新大阪駅まで、よめはんに車で送ってもらった。駅に入ってポケットから乗車券を出したが、金がない。カード入れもない。よめはんを呼びもどすための携帯もない。そう、ズボンを替えたことを忘れていた。しゃあない、なんとかなるやろ、と電車に乗った。
有楽町から帝国ホテルまで歩いた。宴会場に入り、眼が合ったのが、我が友、藤原伊織だった。
「いおりん、金貸して」事情を話した──。
「一銭も持たずに東京へ来る人間も珍しい」と、いおりんは褒めてくれたが、金を借りるのはあとにした。
実は、いおりんとはその夜、麻雀をする約束だった。勝てば帰りの電車賃を稼げるし、負けたら三万円ほど現金を借りて、あとは振り込めばいい。なんともお気楽なものだ。
“鉄砲”(金を持たずに賭け事をすること)とは強いもので、麻雀は大勝ちした。いおりんから電車賃をいただいて、「大阪までタクシーで帰ろかな」と大口を叩き、それで恨みを買ったのか、その翌月に大阪南部を襲った台風で、エアコンの室外機がガレージに駐めていた車に落下してリアウインドーにめり込み、タイヤはパンク、燃料タンクからガソリンが漏れ出した。
あの平成16年の台風23号で廃車になった車を、わたしはしばらく『いおりん号』と呼んでいた。
※週刊朝日 2019年9月6日号