ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「浜崎あゆみ」さんを取り上げる。
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「どうして世間は、こうも浜崎あゆみに厳しいのか?」。そんな疑問を抱きながら、あゆ世代ではない私は、長年、浜崎あゆみと世間の関係を眺めてきました。今年でデビュー21年。正真正銘、2000年代の音楽シーンを代表するスーパースター。「はまざき」ではなく「はまさき」と読むのが正式です。
以前にも書きましたが、2丁目で聖子や明菜や静香を熱唱する「昭和釜」に対し、「平成釜」の象徴的存在として浜崎あゆみは君臨し続けてきました。私はもちろんバリバリの昭和釜世代ですから、21世紀に入り2丁目のカラオケ履歴がどんどん「浜崎あゆみ」に侵食されていく様を目の当たりにし、何とも言えない焦燥感に駆られたものです。当時のゲイシーンにおける「あゆ世代」の印象と言ったら、新宿駅を降りた途端に細いタバコを吸い、無数のフジツボが固着したようなデコ電を片手に凄まじい速さでメールを打つ。そしてやたらドン・キホーテとダイソーとコメ兵に詳しい。そんなザッツ新人類を前に、私は早々と白旗を揚げつつ昭和歌謡を歌ってきました。「中森明菜って、超売れてたんですよね?」とか言われながら。あれから20年。あゆの代名詞でもある独特な節回しとビブラートは、気づけば昭和歌謡以上の大仰さを醸しています。今夜も全国各地のゲイバーで鳴り響く平成釜たちの歌声は、令和の時代において最も昭和している。そんな顛末。
一方、浜崎あゆみに「ファッションリーダー性」をまったく見出せなかった昭和釜たちですが、ある日を境に心の変化を感じ始めていました。皆さんは松山恵子という歌手をご存知でしょうか? 直径5メートルは下らない巨大ドレスを纏い、後年は『年忘れにっぽんの歌』でその姿を拝むことが、昭和釜たちの間で大晦日の恒例行事となっていた方です。「お恵ちゃん」の愛称で親しまれた松山さんが突然この世を去ったのが2006年のこと。昭和釜たちの喪失感は相当なものでした。するとどうでしょう。どこからともなく浜崎あゆみを「お浜さん」と呼ぶ声が方々から聞こえてきたのです。まるで、年々エスカレートするドレスの裾幅に、「お恵ちゃん」の姿を重ね合わせるかのように。