

悲願の決勝進出を逃しても、涙を見せない選手がいた。20日の第101回全国高校野球選手権大会準決勝で、履正社(大阪)に1―7で敗れた明石商(兵庫)の3番三塁手で主将・重宮涼だ。
【写真】九回表1死満塁のピンチにマウンドに集まる明石商の選手たち
選抜ベスト4がチームを狂わせた――。
重宮は、こう振り返った。
今春の選抜大会後、重宮は主将辞任を直訴した。理由は、チームのおごりだった。
「甲子園って怖いところで、普段出ないプレーが出る。(普段打たない選手が)ホームランを打ったり、元々打てるチームじゃないのに、連打が出たり。『俺たち打てるんじゃね?』と。『このままだと夏負けるぞ?』と言っても、『勝てる』とチームメートが言い返してくる。練習に臨む姿勢も悪く、イライラがたまって、自分じゃまとめきれないと思い、辞めると言いに行った」
周囲は驚き、目が点になったという。
だが、これを機にチームは徐々にまとまりを持ち始めた。重宮も主将を続けた。
「嫌われることを気にせず、厳しいことも言うようにした」
率先して、チームの嫌われ役になった。
迎えた最後の夏も、決して楽な戦いではなかった。兵庫大会の決勝では、最終回に神戸国際大付を逆転した。甲子園でも、強豪校相手に粘り強い戦いを見せ、勝ち上がってきた。
この日は、プロ注目の2年生エース・中森俊介が、履正社打線につかまった。
初回に安打6本を集められ、4失点。序盤から苦しい展開になった。明石商もその裏、プロ注目の2年生スラッガー・来田涼斗の先頭打者本塁打で反撃したが、明石商の得点はその1点に終わった。
「2年生がいなければここまで来られなかった。最後まで自分についてきてくれた」
甲子園を去る重宮の目に涙はなかった。
「2年半、やりきれた。しんどいこともあったけれど、やりがいがあった」
次期主将には、「最後までやり続けて欲しい」と語る。自分の経験から自信を持ってそう言える。
まさに「完全燃焼」。
2007年に「がばい旋風」を起こした佐賀北以来の公立校優勝まで、あと2勝だった。夢は後輩に託す。(本誌・田中将介)
※週刊朝日オンライン限定記事