今年、デビュー50周年を迎えた漫画家の萩尾望都さん。バンパネラ(吸血鬼)として永遠の旅を続ける少年を描いた代表作『ポーの一族』をはじめ、多くの読者を魅了し続けています。萩尾さんの50年の歩みを作家の林真理子さんが迫ります。
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林:『ポーの一族』は海外でも翻訳されてるんですか。
萩尾:イタリアで翻訳されたのと、7月に英語の翻訳本が出る予定で、これでやっと英語圏の人も『ポーの一族』を読んでくれるかなという感じです。
林:『ポーの一族』は「漫画を文学に高めた」とよく言われますよね。私たちの年代、純文学を読んでるような感じで『ポーの一族』を読んでいました。今までの女性漫画とはぜんぜん違うとらえ方で「中央公論」とか「朝日ジャーナル」でも取り上げられたような気がします。
萩尾:当時は描くことに夢中で、あんまりそういうことは……。
林:私、『王妃マルゴ』は最初から読んでいたんですが、あれは東北の震災のあとですよね。
萩尾:そうです。だんだん疲れてきて、私はこんなふうにちょこちょこ描きながらだんだんフェードアウトしていくんだろうなと思ってたら東北の震災が起こって、一瞬、何も考えられなくなったんですけど、逆に、何かしなければという気持ちが強くなってきて……。震災の直後に「なのはな」という震災にからんだ短編をいくつか発表したんです。でも、ずっと考えてるとつらくなるんですね。そんなときに「月刊YOU」の編集者さんから「何か企画を」と言われて、いっそ遠くに飛びたいと思って、16世紀の王妃マルゴの時代に旅をしにいこうということで始まりました。
林:どうして王妃マルゴだったんですか。
萩尾:王妃マルゴがナバルの王子と結婚したあと、パリでは「サン・バルテルミの虐殺」といって……。
林:プロテスタントがたくさん殺されたんですね。
萩尾:プロテスタントがカトリック教徒に何千人と殺されたんですね。その図版を若いころに見て、同じキリスト教徒なのにどうして殺し合うんだろうという素朴な疑問が湧いて、機会があると調べていたんですが、あの時代はカトリーヌ・ド・メディシスはいるし、エリザベス女王はいるし、クイーン・メアリーはいるし、フェリペ2世はいるし、とてもおもしろい時代なんですね。でも、王妃マルゴのことはボロクソに書いてあったんですよ。淫乱だとか何人も恋人がいたとか。だけど、どうしてもそんなに悪い人とは思えないんですね。それでマルゴを擁護する立場から話を書きたいと思ったんです。