104歳にしてCDデビューしたのは、長唄三味線の名人だった父親、五代目杵屋勘五郎から受け継いだ曲を残すためだった。
初めての収録は、マイクが目の前にあって少し窮屈だったようだ。
「マイクに音が吸い込まれてしまって、反響がないんですね。少し暴れようかなと思っても、これくらいでいいのかなと加減してしまって。舞台だと、前にいる客席から波が返ってくるような感じです。自分の気持ちが誘導されて、大きく広がっていくような気がするんです」
100歳を超えてから、曲に込める思いがいっそう増していったという。
「同じ曲を何度も弾いていても、ただ同じようにするのではなくて、思いを込めるんです。悲しいところは『チリリン』と、情景を伝えられるように気持ちを込めて弾く。それが父から受け継いだ弾き方です」
ドラマチックな場面でのリズムの取り方を教えてくれた。右手を机に打ち付けて、「ツーン、ツツン」と披露する。慌ててそばにいたお孫さんが、「折った手だからね!」と心配したが、本人はかくしゃくとしている。
「もう何ともないよ。早いうちにギプスを短く切ってもらって三味線を弾く訓練をしていたから、骨のほうが観念してよく言うこと聞いてくれますよ。三味線以外のことで力を入れると、痛いかなと思うんですけれどもね」
4年前に骨折した親指の付け根を見せてもらうと、確かに骨折のほうは回復していたが、細い腕にはうっすらくぼみがあった。幼少のころから約100年間も三味線を弾き続けたあとだ。匠(たくみ)となったいまでも前に進もうとする響泉さんの凄(すご)みが垣間見えた気がした。
(本誌・池田正史、岩下明日香)
※週刊朝日 2019年7月19日号から抜粋

