敗戦で、仲間と人形を海へ流した。「しまった」と後悔する。戦後、物不足で人形が作れなかったからだ。そんなとき、演劇研究家の小沢愛圀(おざわよしくに)が影絵のことを話していたのを思い出した。

「影絵は紙を切り抜いて、ろうそくの光や裸電球1個でできる。光と影で様々な表情を演出させることに、おもしろみを感じるようになりました」

 人形も影絵も、今回の巨大なステンドグラスの原画も、「あらゆるものは手のひらの中から生まれていける」という。

 色彩豊かで幻想的な作品が多かったが、80歳を過ぎたころから、作風はリアルへと変化していく。

「メルヘンを頭の中で描いていたのは何だったのかなと。実物は想像を超えているなと感じるようになってね。人間が考えられないような力が加わっていて、見ていると何とも言えない。そう感じるようになったのも、長生きしてこられたからかもしれません」

■104歳でCDデビュー「やれるときにやっとかなくっちゃ」

「体力がなくなって気持ちが沈んでいても、まぁ明日がわからないんだから、やれるときにやっとかなくっちゃって、一生懸命になれるのよ。できたら舞台の上で死にたいなと思うくらい」

 弾んだ声でこう答えたのは現在104歳、今年11月に105歳になる長唄三味線演奏家、杵屋響泉さん。両脇で見守る娘・六響さんと孫・和久さんは、「そんな迷惑な」と明るく諭す。

 移動するときは両肩を支えられるが、三味線を持つと背筋が伸び、弦を弾(はじ)く力は強い。

「(歌舞伎『勧進帳』の)滝流しの場面では、滝が流れていくようにだんだんと力を入れていきながら弾く。若い人でも疲れますが、私は今でも負けないですよ」

 舞台のたびに全力を出すため、演奏が終わって幕が下りると、くたびれ果てて舞台から降りるのも「命がけ」だとか。

 稽古中、弟子の音がずれていると、とっさに立ち上がり駆けつけて、調子(チューニング)を直すこともある。世話をする娘さんの声は聞こえにくいのに、三味線の音だけは今でもはっきりと響いてくるという。

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