ギャンブル好きで知られる直木賞作家・黒川博行氏の連載『出たとこ勝負』。今回のテーマは「夢物語にただよう私心」。
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ひとは一晩中、夢を見ていて、“脳も身体も眠っている”ノンレム睡眠中に見る夢は“とりとめもストーリーもない”ため、ここで起こされると、夢を見ていたことすら忘れてしまうらしい。
対するに“脳が起きていて身体が眠っている”レム睡眠中に見る夢は“鮮明でストーリー性がある”から、起きたあとも憶えていることが多いという。
──と、前講釈はこれくらいにして、わたしは夢をよく見るし、よく憶えている。寝る前に書いていた原稿のつづきや、新たなプロットを思いついたような夢が多いから、枕もとにノートと万年筆をおいていて、「これはええ。このディテールは使える」と、半分寝ぼけた頭でメモするのだが、よめはんと飯を食ったあと、パイプ煙草を吸いながら、そのミミズが這ったような字を判読してみると、実にくだらない、あほくさい内容に呆れて、「君はいっそのこと、夢の世界で生きたらどうや」と独りごちたりする。夢を原稿にして枚数を稼ごうなどと不埒な考えをするのもまた、レム睡眠のなせるわざであり、フロイト流にいえば無精怠惰のあかしなのかもしれない。
ちなみに、今朝の夢はなかなかにストーリー性があった。ガソリンスタンドでガソリンを入れ、料金を払って出ようとしたらスタッフに呼びとめられた。支払った料金が千百円、不足しているというから、百円玉をひとつと五千円札を渡したが、釣りをくれない。四千円返せ、といったが、知らないという。すったもんだのあげくに、眼が覚めたら、オカメインコのマキが頭にとまって寝ていた。マキがわたしの頭を寝床にしているのは、暖かくて髪の毛がほどよいクッションになるからだろう。
「マキ、おれは五千円、払うたよな」
返事がない。フロイトにいわせれば、わたしは無精怠惰の上に吝嗇(ケチ)なのか。どこか公園の砂場で五百円玉や百円玉を大量に発掘する夢もよく見たりする。