2004年、東宮時代の徳仁天皇。8:2の分け目でフォーマルな印象の髪形だった (c)朝日新聞社
2004年、東宮時代の徳仁天皇。8:2の分け目でフォーマルな印象の髪形だった (c)朝日新聞社
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新天皇として初のおことばを述べた5月1日の「即位後朝見の儀」。分け目が変わり、ヘアスタイルに表情が出た (c)朝日新聞社
新天皇として初のおことばを述べた5月1日の「即位後朝見の儀」。分け目が変わり、ヘアスタイルに表情が出た (c)朝日新聞社
サロン「OHBA」本店で、徳仁天皇も座った椅子を前に、撮影に応じる大場隆吉さん。東宮御所の改修中は、サロンの個室で調髪した
サロン「OHBA」本店で、徳仁天皇も座った椅子を前に、撮影に応じる大場隆吉さん。東宮御所の改修中は、サロンの個室で調髪した

 日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより、ここに皇位を継承しました──。5月1日、令和の新天皇が即位した。「朝見の儀」でおことばを述べる徳仁(なるひと)新天皇の姿は、全国に中継された。その姿を感慨深く見つめる男性がいた。親子3代にわたり御理髪掛を務めてきた、大場隆吉さん(67)である。

【写真】5月1日の「即位後朝見の儀」。分け目が変わり、ヘアスタイルに表情が出た

【1】カットと毛髪から伝わる3代の天皇像

「いやあ、気持ちいいですね。お客さんもお喜びになるでしょうね」

 徳仁新天皇が皇太子だったとき、シャンプーをする大場さんにそう漏らした。

 次代の皇室を背負う重圧のためだろうか。頭皮や肩は、硬く張っていた。

 公務でお疲れの身体を、少しでもリラックスさせて差し上げたい。徳仁皇太子に、首から頭の動脈の流れに沿って、下から上の方向にシャンプーをおやりになるとよろしいですよ、と伝えた。

「なるほど、下から上ですね」

 徳仁皇太子は、大場さんの言葉を、うなずきながら繰り返した。

 東京・赤坂に本店を構えるサロン「OHBA」の代表を務める大場さんは、平成が19年目に入った2007年から10年間、上皇さま天皇陛下の御理髪掛を務めてきた。

 祖父の秀吉さんと、父の栄一さんも、昭和天皇の御理髪掛を拝命していた。秀吉さんは、西洋式理髪の草分け的存在。それまで侍従が務めていた天皇の理髪掛に民間人で初めて就任し、欧州訪問にも同行した。父の栄一さんは、太平洋戦争が始まる1941年から昭和天皇の御用を務めるが、2年後に召集令状が届く。侍従次長に「行かなくていい」と引き留められたが、「仲間が死んでいるのに、逃げることはできない」と中国に赴いた。

 それから64年後。07年に3代目の大場さんが御理髪掛を拝命した。

 大場さんは、お客さんに心身ともにリラックスしてもらう方法として、「触れ方」を生涯の探求テーマとしている。

「皇太子さまへのご理髪は、ただ髪を切り、髪形を整える作業ではありません。髪を切り、シャンプーを行い、ブローをする過程で人の肌に触れる。お疲れをすべて解放していただけるよう、敬意と思いを込めて触れることが何より大切です」

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