二人の暮らしは、つかず離れず、あっさりしたもの。恋人や夫婦にありがちな、相手に対する「所有欲」が皆無な分、「こうしてほしい」の類が一切ない。帰りが遅くなっても、「遅くなるから連絡しなきゃ」などとは互いに思わない。面倒を見るとか、世話を焼くという概念がないのだ。
「生活が全般的に“手酌”スタイル。全部ほっといてくれるのが、本当にありがたい。しがらみも要求も何もない関係って、すごい楽ですよ」(伊藤さん)
“ゆる同居”を始めて1年。互いに仕事中心の一人暮らしは、どうしても殺伐とする感覚があったが、今ではそれぞれが代えがたい居心地の良さを感じている。
「パートナーが亡くなって、子どもも巣立って、今になると、私寂しかったんだなって思う。家に帰ったら、誰かがいて話せる。それだけのことが、涙が出るほどうれしい。相手は自分をすっかり出して話せる友達ということも、どれだけ幸せか……」(伊藤さん)
枝元さんもこう頷く。
「ありがたいと思うのは、“今日こんなことがあってね”と言える相手がいること。生活を完全には共有せず、相手の生活には踏み込まない同居って、“いいとこどり”だなと思う」
あくまでそれぞれの生活のベースはほかにあるから、互いに「一緒に住んでいる」という感覚はない。60歳も過ぎ、自分の生活ペースはでき上がっている。だけど、ずっと一人はやっぱり寂しい。だから自分の生活は確保した上で、気の置けない友達のところに、ゆる~く居候する。枝元さんは、朗らかにこう笑う。
「友達とゆるく暮らしてみるって、思うほど難しいことじゃない。家族とか一人の暮らしにこだわりすぎて、閉鎖的になる人って結構いるけど、年をとった自分のテリトリーに誰かが入ってきてくれるって、ありがたいことですよ」
(本誌・松岡かすみ)
※週刊朝日 2019年6月21日号

