「秀樹くんと組んでやりたいって言ったんです。普通は誰でも歌いやすい、覚えやすい曲を作るものですが、そのときだけは、秀樹じゃないと歌えないもの、難しくてもいいから高度なものにしようと思ったんです。そうしたら、やはり思ったとおりのフィーリングを出してくれた。単に歌がうまいだけの人ならいくらでもいますが、その理解力の高さは、天才的ミュージシャンでした。僕はもうそれで満足して、それ以来アニメの曲は書いてないんです」

 秀樹の人柄をこう語る。

「あれだけ人気があっても、非常に真面目でちっとも芸能人ぽくない。むしろそういう芸能界的なことを嫌うような人でした」

 一般女性と2001年に結婚、3人の子供にも恵まれた。

「芸能人らしくない、実にあたたかで、いい家庭を作りましたよね。どうして体こわしちゃったのかな。もう少し、生きてほしかった」

 秀樹が築いた幸せな家庭の根底には、「寺内貫太郎一家」で描かれた家族愛があったのではないだろうか。そう言うと、どこか本当の父親のような優しい表情で、うなずいていた。

「あったかもしれませんね。もしそうだとしたら、本当に素晴らしく、嬉しいことです」

■「スターなのに気遣いの人」浅田美代子

「寺内貫太郎一家」でおなじみのシーンのひとつが、周平とミヨちゃんの、屋根の上で寄り添うデュエットだ。さわやかな場面だが、

「一部の熱烈な秀樹ファンから、カミソリ入りの手紙が届きました(笑)」

 浅田美代子さんが、当時を振り返る。

 秀樹と浅田さん、そして「ばあちゃん」樹木希林さんの3人の交流は、ドラマ終了後もずっと続いた。闘病中の秀樹も出演したコンサートには、浅田さんと希林さんは、チケットを自ら入手して駆けつけた。

「あんなにスターなのに、すごく優しくて気を使う人。私たちが行くと知ると気を使われるから、希林さんが、『美代ちゃん、あんた、チケット取れる?』って、ネットでチケット取って見に行ったんです」

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