かくして、『のぞみ』の登場でさらに短距離化された平成の東海道。一方、音楽界における東海道事情は、2000年(平成12年)にデビューした『氷川きよし』によって、その真逆を行くことになりました。『箱根八里の半次郎』『大井追っかけ音次郎』『番場の忠太郎』etc。現実世界が『のぞみ』や『リニア』ならば、こちらは『股旅』です。股旅ものと呼ばれる一連の氷川きよし作品は、もはやノスタルジーとか演歌っぽさの域を超え、ディズニーも真っ青な超絶ファンタジーと言えるでしょう。そしてこれこそが、長年培われてきた演歌・歌謡曲の『完成形』でもあるのです。そう考えると『平成』って業の深いこじれた時代だと思いません? 氷川くん自体にも、昭和に活躍したどんな演歌歌手やアイドルよりも『完全無欠な闇(やみ)』を感じますし。
当たり障りのない通り一遍の『ハッピーでヘルシーなエブリディ』を追求してきた平成の30年において、氷川きよしの存在は、どんな時代になろうと隠しきれない人間や世の中の性(さが)や闇をしかと見せつけてくれる最後の砦だったように思います。世間が抱える危うさ脆さ、体裁、幻想、儚さを、氷川くんは演歌を通してひとりで背負い続けてきた。そして皮肉にもそれは、熟成した『アイドルビジネス』をどのように防腐・持続させていくかの大成功例になった。氷川きよしこそ平成日本の『のぞみ』だったのです。
『ズンドコ股旅』の氷川きよしが平成の世の産物ならば、令和の氷川きよしには、もっと自我や闇を遠慮なくぶちかまして頂きたい。そうすればそれがまたさらに大きなエンタテイメントやビジネスになるはずです。『うわさ』路線のきよし。期待しています。
※週刊朝日 2019年5月3日‐10日合併号