ジャーナリストの田原総一朗氏は、主権が国民にある現代において、天皇制と結びつく元号の必要性を疑問視する。
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4月1日に菅義偉官房長官が、新元号は「令和」だと発表した。六つに絞られた原案の中から令和が選ばれたのだという。
私は、菅氏の発表を聞いた直後は、正直に言うと違和感を覚えた。「和」はともかく、「令」は命令や指令の「令」だからである。自由、解放などとは逆の意味合いを感じたのだ。
だが、万葉集の梅花の歌の序文から採られたことがわかり、「初春令月、気淑風和」、つまり「初春のこの良い月に、気は良く風は柔らか」という意味だと知り、なんとか納得した。
それにしても、これまではいずれも中国の古典を典拠としてきたのだが、248番目の今回、初めて日本の古典から採られたのは、日本の主体性を重んじたいという安倍首相の姿勢が示されているのではないか。
安倍首相は「令和」発表後に、次のように述べている。「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ意味が込められている」「一人ひとりの日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる時代を築きたい」
しかし、どの新聞、テレビを見ても、なぜ新元号が必要なのか、についての論議があまり行われていないことに疑義を抱かざるを得ない。
私の意識の中に「平成」という元号はない。マルタ島で米ソ首脳会談が行われて、実質的に冷戦が終わったのは1989年で、日本のバブルがはじけたのは91年、東京電力福島第一原発の事故は2011年、そして安倍氏が再度首相になったのは12年で、トランプ氏が米大統領に就任したのは17年である。
敗戦まで、日本では西暦はあまり使われていなかった。だから昭和の時代は「昭和」という元号で記憶するしかなかったが、現在、日常生活では元号は必要ない。
それなのに、なぜ政府は元号があって当然だと考えているのか。
元号は天皇制と深く結びついている。最初の元号は「大化(645年)」で、「大化の改新」、つまり天皇を中枢とする体制が構築された時代である。そして、天皇を中枢とする時代を区分するために新元号がつくられ、明治からは一世一元となった。特に明治以降、天皇は日本にとって絶対的な存在となった。