しかし、アレルギーは卵やそばやイカやエビや、あるいはアスピリンのような医薬品でも起きる可能性がある。例えば、ぼくは生のエビにアレルギーがあるので食べられない。でも、それを根拠に他の人に「エビを食べるな」とは主張しない。アレルギーがない人には、エビは安全な食べ物だからだ。

 同様に、亜硫酸にアレルギーがある人がいる、ということは、「アレルギーがなければ問題なし」という意味でもある。それをもって亜硫酸入りのワインを「健康によくない」とカテゴライズするのは正当ではないだろう。そんな根拠を認めてしまえば、世の中のほとんどの飲食物は同じ理由で断罪されてしまう。

 それに、そもそも、酵母によるアルコール発酵過程でも少量の亜硫酸が作られている。アレルギーがあれば、やはり危ないのだ。添加した亜硫酸は悪くて、自然に作られた亜硫酸はよい、というのは天然のものを過度にありがたがる、まさに「天然ボケ」としか言いようがない。この手の間違いは自然界の放射線ならよくて、原発由来の放射線はよくない、といった自然派主義の人たちがときどき間違えるピットフォールでもある。

 人体の細胞はそのような「自然か」「人工か」といった、ものごとの由来などは顧慮しない。両者の区別は「人間の頭の中だけ」にある観念的違いに過ぎない。いずれにしてもワインの場合、瓶詰めして1年後には二酸化硫黄は減少してほぼゼロになっているそうだから、いろいろな意味で、亜硫酸は気にする必要はない。

 亜硫酸無添加のワインもある。しかし、この場合は酸化が進んだり、雑菌が繁殖したりしてワインの味覚が落ちるリスクがある。また、アルコールが酸化しやすくなってアセトアルデヒドが生じ、二日酔いしやすくなる可能性もある。「農薬」の話をしたときに述べたが、あるものを添加する場合のリスクは考えたほうがよい。しかし、そのとき同時に添加させない場合のリスクも考えなければならない。リスクは両面的なものであり、「リスクなし」という選択肢は基本的にありえないのだ。農薬を使わなければ、農薬そのものがもたらすかもしれないリスクはヘッジできるが、例えば感染症のリスクは増えてしまう。一見、リスクに見えることを排除すればリスクがなくなる、という素朴な「ゼロリスク信仰」は単純に間違っている。
 

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「人工」がよくないという間違った議論