言葉は違えど、他のメンバーも「嵐こそ自分たちのホーム」と語るのが、とても印象的だった。ちょうどこの時期、大野さんとメンバー一人ひとりが個別に、また5人そろって、話し合いを重ねていたという。松本さんも会見で、「こんなに話す日もなかったなというくらい個々でも全員でも集まって話しましたね」と語った。

 大野さんは1994年、中学2年生のときに母親のすすめでジャニーズ事務所に入所、16歳からの2年間、「ジャニーズファンタジーKYO TO KYO」に出演するため、親元を離れて京都で過ごす。東京に戻り、事務所をやめて、就職するか、絵を描くために美術の学校に行くか悩んでいたときに、嵐としてデビューする話が持ち上がった。

「踊ることが大好きだから極めたいっていう気持ちも、自分の中では一段落ついた頃で。そろそろ事務所をやめようかと思ってたのに、いきなり、嵐としてデビューしたから……。(中略)すでにテレビに出ていたほかの4人と違って、Jr.の頃は京都でずっと舞台に立ってたから、雑誌もテレビ収録も、全然わからなくて。取材でも、『頑張ります』なんて嘘は言えないから、ずっと黙ってた。毎日、“逃げたい”しか頭になかったもん(笑)」(「MORE」14年6月号)

 嵐のリーダーに選ばれた理由は「じゃんけん」。最年長とはいえ、みんなを引っ張っていくようなタイプではない。櫻井さんがキャスターを務める「NEWS ZERO」(16年6月13日放送)に出演した際には、当時の戸惑いをこう語っている。

「最初はリーダーって、まとめるっていうイメージがあって、ラジオとか5人で当時やっていたじゃない? 『進行 大野』って書いてあって、あれはまいったね」「グデグデになったの覚えてる。正直、(当時は)みんなの考えてることが理解できなかった自分がいて、それじゃだめだよ的なのはちょっとあったんだよ」「でも十何年やってきて、みんなも大人になってきて、逆になった感じ」「周りがフォローしてくれるから成立しているんだな。(出演中のドラマの)役も嵐も、そんな感じになるんだなって僕は」

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