名越康文/1960年、奈良県生まれ。精神科医。相愛大学、高野山大学客員教授。近畿大学医学部卒業後、大阪府立中宮病院(現:大阪府立精神医療センター)で精神科救急病棟の設立、責任者を経て99年に退職。臨床のほか、テレビ・ラジオでコメンテーター、映画評論、漫画分析
など多方面で活躍中(写真 大野洋介/朝日新聞出版・写真部)
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 テレビやラジオでコメンテーターを務める精神科医の名越康文医師。現在、診療は月に1回だが、大学での講義や主宰する塾の後に茶話会(有料)を開き、オープンカウンセリングになることも多い。「対等でありたいから」と、この場でのカウンセリング料は無料。「その代わり、生半可な質問には答えない。受講者も僕も真剣勝負です」と語る。『医者と医学部がわかる2019』で、医師の先輩として本音を語ってもらった。

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――医者になった理由は?

 親から「医者になれ」って言われたからですよ。日本で医者になった人、医学部に入る人の半分ぐらいはそんな理由じゃないのかな? 僕の両親は医者ではないんですが、母方は6代続く医師の家系。父方は曾祖父がやはり医師。だから小さい頃から、「あんたは医者になるんやで」と言われ続けていたんです。ならなかったら「名越家破門」みたいな感じで、ある意味、職業選択の自由がなかったんです。

■消去法で医学部進学を選択

――他の道に進みたいと、両親に逆らったことは?

 そりゃあ、ありましたよ! 漫画家になりたくて漫画やイラストをせっせと描いたり、歌手になりたいと音楽ばっかりやっていた時期もありました。でも結局、親の言う通りに「やっぱり医学部に入っておかんとあかんかな」と思ったのは、自分はサラリーマンになるのは絶対に無理だと思ったからです。

 サラリーマンになるというのは、簡単に言うと組織の一員になるということ。組織の中にはいろいろな人間がいて、必ずしも自分が尊敬できる人の下で働けるとは限りません。それは僕には絶対無理! それで消去法で医学部に入った。そこには残念ながら、みなさんが期待するような劇的なストーリーはないんです。

――医学部に入ってから、意識は変わりましたか?

 いや全然。なかなか自分が医師になる姿をリアルに想像できませんでしたね。漠然と自分は内科の医師になるのかなと思っていましたが、勉強しながらも、だんだんと「あれっ? 自分はあまりこういうことに興味がないのかも」と感じるようになってきて、つらかったですね。同級生や仲間は自分が医師になることを疑っていない人たちがほとんどでした。なかには“自分はこういう医師になりたい”という思いをしっかり持っている尊敬できるような人たちもいました。

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