――22歳で来日。英国に骨を埋めた小泉氏の指導を直接受けることはなかったが、2年半、道場に通い、黒帯を取得した。格闘家として腕を磨くため日本に渡ったものの、ニコルのもう一つの側面が日本の意外な魅力を発見することになる。
黒帯を取った後は北極に帰るつもりだった。その後、日本国籍を取ってずっと日本に住むことになるとは、僕自身も想像してなかったんです。
道場の仲間と山や海によく行きました。最初に行ったのは伊豆半島、そして冬の雪の長野だったと思う。雪の中ブナの原生林があった覚えがある。山では山菜やキジ、カモ、鹿、ウサギ、イノシシ、珍しいキノコ──おいしいものを食べて、美しい景色を見て。小さな島で漁師を手伝ったり、いろんな経験をしました。
日本の自然はすごい。その自然をつくった日本人が好きになったんです。日本が大好きになりました。
僕が子どものころ、南ウェールズの森林率はわずか4%でした。でも日本の森林率は67%。長野県は79%です。ウェールズとは比較にならないほど豊かな自然があったんです。
それに日本のように北に流氷、南にサンゴ礁がある国はなかなかないです。日本の自然の多様性は他に類をみないほど素晴らしく、それは食卓の豊かさにもつながっている。
特に80年に長野県の黒姫に移住したことで、僕は自分の道を見つけました。「小さくてもいい、美しい森を残す」、そして「ほかの外国人に書けない本を書く」と。
――黒姫の荒れた森を買い取り、「アファンの森」と名付け、森を再生する活動を始めた。が、バブルに向かう好景気のさなか、その意図や活動は周囲に理解されなかった。
それは苦労しましたよ。あの時代、環境問題を声高に言うことは「反社会的である」とされていたんです。「左翼」「アカ」と言われ、インタビューに来た人からも「環境問題については話さないでください」と言われたりもしました。
黒姫の森を買ったことを「冬のオリンピックが来るから、ニコルは土地転がしをやってもうけようとしている」などとうわさされたこともあった。そういう悪いうわさはすぐに広まるんですよ。
心がくじけそうになったことも、ウェールズに帰ろうかと思ったこともあります。でもそんな心のうちは人には見せませんでした。
そして、だんだん理解者ができてきた。最初は猟友会の仲間たち。次によそから黒姫に来た移住組の日本人たち。顔を突き合わせて話をすることができれば、わかってもらえる。そうして少しずつ、受け入れてもらってきたんです。