どんなグループでも組織でも、エースやリーダーだけじゃ成り立たない。一歩引いたところで全体を引き立てたり支えたりする「第5の男」は必要なんです。誰かがそこにいなきゃいけない。世の中の多くの人は、けっして主役ではない「第5の男」ですよね。そういう人たちが僕を見て、「自分はこのままでいいんだ」でも何でもいいけど、感じるところがあればうれしいなと思ってます。

 でも、「8時だョ!全員集合」のときに、そんなこと考えながらやってたわけじゃないんだけどね。そこは長さんが役割分担を決めて、5人の持ち味を生かしながら、グループとしてどう面白くなるかを考えてくれてた。怖かったけど、すごいリーダーだったと思う。

 晩年の長さんは、ドリフのころの怖い顔とはぜんぜん違って、温和な顔をしていた。72歳で亡くなってから、もう14年か。最後は渋い役者になったよね。これからもっといい役者になると思っていたから、すごく残念です。

――怪物番組と言われた「8時だョ!全員集合」は85年に終了。「ドリフ大爆笑」も90年代後半になるとペースダウンし、高木は再びミュージシャンとしての人生を歩み始める。

 ドリフはバラ売りをしないっていうのが、長さんの方針だった。でも、「8時だョ!」が終わったときに、長さんが「長いあいだがんばってきたんだから、そろそろ好きなことをやろう」って言ってくれたんです。

 ドリフが忙しいころは、とてもウクレレを人前で演奏するような余裕はなかったけど、たまたま何かのイベントで演奏させてもらったら、すごく気持ちよくてね。昔の感覚を思い出したっていうか。

――再びウクレレに本腰を入れ始めたもう一つのきっかけは最愛の人の死。94年に妻・喜代子さんを58歳の若さで亡くした。

 妻は、脳腫瘍だったんです。医者からは「あと5年」と言われていたのに、1年8カ月でいっちゃった。

 倒れてからしばらくは一進一退だったんだけど、3度目の手術を受けた後、口がきけなくなっちゃってね。それからは、つらそうな顔してたな。きっと、僕に対して言いたいことがあったんだと思う。

 彼女は自分の意見をしっかり持っていて、僕が相談すると、いつもビシッとアドバイスしてくれた。ドリフに入るかどうか迷っているときも、妻が「入ったほうがいいんじゃない」と背中を押してくれたんです。

 そういう病気じゃなかったら、死ぬまで言いたいことを話せただろうにと思うと、たまらないよね。最後に何が言いたかったのか。僕もそのうちあっちに行くから、そのときに聞いてみますよ。あ、でもそれじゃ遅いのか。

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