もし、あのとき、別の選択をしていたなら──。ひょんなことから運命は回り出します。人生に「if」はありませんが、誰しも実はやりたかったこと、やり残したこと、できたはずのことがあるのではないでしょうか。昭和から平成と激動の時代を切り開いてきた著名人に、人生の岐路に立ち返ってもらい、「もう一つの自分史」を語ってもらいます。今回はミュージシャン・タレントの高木ブーさんです。
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長さん(いかりや長介)に「ザ・ドリフターズに来ないか」と誘われたときは、ウクレレやギターの演奏の腕をかわれたとばかり思ってたんだ。長さんが亡くなるちょっと前に聞いたら、「デブだったからだよ」だってさ。メンバーが並んだときに、デブがいると見てくれが面白いからってことで、僕に目をつけたみたい。
まあ、いいんだけどね。ドリフとはそれまで何度も同じ店で出ていて、面白いバンドだなって思ってた。別のバンドに所属してた僕が、ドリフに誘われたおかげで人生が大きく変わったわけだから、デブは身を助く、だね。長さんが僕に声をかけてくれなかったら、「高木ブー」は生まれていないし、この歳まで仕事を続けてはいなかったでしょう。
でも、最初に「デブだったから」という理由を聞いていたら、断ったかもしれないな。真実を知らなくて、本当によかったよ。
――高木ブーといえば、コントの雷様が当たり役。雷様は時折ウクレレを弾いていたが、もともと高木はコメディアンではなく、音楽で身を立てていた。ウクレレとの出会いは15歳のときだった。
当時、3番目の兄貴がハワイアンにはまっていて、僕の誕生日にウクレレをプレゼントしてくれたんです。僕がねだったわけでもないのに。兄貴がきまぐれで買ってくれたのですが、その後の人生に大きな影響を与えたんだから、不思議なもんですよね。
演奏なんてロクにできなかったけど、知り合いが夏祭りで、ハワイアンのバンドに誘ってくれた。楽器を持ってるやつなら、誰でもよかったんだよね。そしたら、ものすごくウケた。あの夏祭りのステージで、人前で演奏して拍手をもらう気持ちよさに目覚めちゃったんだよね。
高校時代はウクレレにすっかりはまって、「学校では俺がいちばんうまい」なんてうぬぼれてました。そんなときに転校生がやってきて「ちょっと弾かせて」って言われて、ウクレレをわたしたら、僕なんて足元にも及ばないぐらい上手で。古川和彦君といって、高校卒業してすぐにプロのミュージシャンになりました。