投票日前々日の9月28日には、地元2紙に二つずつ全面広告を掲載。同じ日に自民党の広告が《豊かになるチャンスを逃すのですか?》《手を伸ばせば安心して暮らせる社会が実現するのです》と、あからさまに利益誘導を匂わせたのに対し、玉城陣営は樹子の集会スピーチ全文、そして彼女との一問一答で両ページを埋めた。

 若者を意識した「未来志向」とシニア層に向けた「翁長後継」のアピール。結果的にこの2本立ての戦術がうまくかみ合い、玉城は支持拡大に成功した。

 告示日直前に、突然誕生した青年局数十人の活躍もあった。自発的に集結した若者らは、半ば選対から独立した形で自由に企画を練り、街頭演説での高校生との一問一答やライブハウスでのトークイベントなどさまざまなプランを実現し、SNSもうまく活用した。

 一方の佐喜眞陣営にとっては、創価学会の足並みの乱れが大きな誤算だった。

 そもそも公明党沖縄県本部は、党中央とは違って反辺野古の立場だ。名護市長選では自民系前市議が勝利する立役者となったが、内心“苦渋の選択”を迫られた学会員も多かった。今回は県外から大量の学会員が来て人海戦術をとったが、肝心の地元学会員の動きは鈍く、3割近い票が玉城へと流れたとされる。

 県北部の学会員を幅広く知る人物は「佐喜眞のポスターを貼らない家もあちこちに見かけたし、(路上で通行車両にアピールする)『手振り』に出る人も少なかった。地元学会員の胸中は複雑だったと思う」と説明した。

 なかには玉城の応援に学会の三色旗を持って駆け付け、「池田大作先生の教えを受け継ぐのは、玉城デニーさんだ」と公言する人まで現れた。本来の反辺野古のスタンスと、自公共闘の矛盾に悩む葛藤。その苦しみが、一定数の“造反票”となって現れた。

 振り返れば、2年前の参議院選で現職沖縄担当相だった島尻安伊子が落選し、沖縄での自民党選挙区議席がすべて失われた直後、政府は高江ヘリパッド建設への機動隊導入に踏み切り、辺野古問題でも強硬姿勢をあらわにするようになった。自民党中央には当時、「これで沖縄に気を使う理由はなくなった」と漏らす声もあったという。

 しかし今回、そんな“力による制圧”があまりにも露骨すぎたために、求心力を弱めかけていた「沖縄アイデンティティー」という理念が、改めてリアルな意味を持つ。

「ウチナーンチュ、ウシェーテーナイビランドー」(沖縄人をなめてはいけませんよ)
「マキテーナイビランドー」(負けてはなりませんよ)

 選挙期間中、生前の翁長が残した言葉が繰り返し叫ばれた。そんな環境はある意味、政権の“力への過信”が用意したものだった。

週刊朝日  2018年10月19日号

暮らしとモノ班 for promotion
大谷翔平選手の好感度の高さに企業もメロメロ!どんな企業と契約している?