――その後、テレビは黄金期を迎える。数々の音楽番組、アニメ、ドラマ、CMに携わってきた。人気ドラマに役者としても参加し、お茶の間を沸かせた。
テレビドラマにもね、役者でもないのに、僕まで出るようになっちゃって。「寺内貫太郎一家」の貫太郎は、原作者・向田邦子さんのお父さんがモデル。当時私は長髪だったんですが、配役を決めるときにプロデューサーの久世光彦さんに「丸刈りにしてこい!」って言われて。
テレビ局はクライアントですから逆らえません。仕方なく髪をばっさり切って戻ったら、向田先生が「イメージにぴったりよ!」って。それで決まっちゃった。何でもありの時代でしたねえ。まさか続編までできて、新橋演舞場で舞台になるまで続くとは思ってもいませんでした。
われわれ世代の人間は、テレビっていうのはこれからの時代を代表する文化だと思っていました。テレビなら今までできなかったことができる!と、そりゃエキサイティングでしたよ。挑戦の連続ですから。
――時代は変わって今、テレビも、音楽業界も苦境に立たされている。テレビ文化を創り出した者の目にはどのように映るのか。
昔はどのレコード会社にもカリスマプロデューサーがいて、会議でみんなが反対しても「これは売れる!」って言った曲や歌手はヒットした。今は合議制なんです。全員が70点をつけないと世に出せない。そんなやり方で大ヒットは出ませんよ。そこそこの評価で出てきたものは、そこそこで終わるんです。
この時代の音楽が、エンターテインメントがどうなっていくのか、見届けて、向こうにいる盟友たちに報告しなくちゃと思ってます。「寺内貫太郎一家」に出ていた男性陣なんて、もうほとんど残ってないですよ。僕たち世代はテレビと共に大きくなって、テレビと共に終わっていくのかな。
レコード大賞の盾の前で写真とか、いやですよ。どうも過去の栄光みたいでね。
(聞き手/浅野裕見子)
※週刊朝日 2018年9月28日号