![中村メイコ(なかむら・めいこ)/1934年、東京生まれ。映画、テレビ、舞台で活躍。ドラマのほか「わんぱくフリッパー」の吹き替えや「連想ゲーム」の紅組初代キャプテンを務めるなど、マルチタレントの先駆けでもある。古舘伊知郎が聞き手を務めたインタビュー集『もう言っとかないと』(集英社インターナショナル)には、彼女自身の山ほどの「秘話」とともに、戦争中から戦後、現代に至る「日本の芸能史」が凝縮されている(撮影/小山幸佑・写真部)](https://aeradot.ismcdn.jp/mwimgs/0/6/476mw/img_065c33ba725ff9616fa027863ba13b1226860.jpg)
もし、あのとき、別の選択をしていたなら──。ひょんなことから運命は回り出します。人生に「if」はありませんが、誰しも実はやりたかったこと、やり残したこと、できたはずのことがあるのではないでしょうか。昭和から平成と激動の時代を切り開いてきた著名人に、人生の岐路に立ち返ってもらい、「もう一つの自分史」を語ってもらいます。今回は女優の中村メイコさんです。
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私、2歳半からおむつしながら女優をやっていたから、なったことがない職業ってないんですよ。「七色の声」なんて言われて、人間以外のものにもなったわね。いちばん得意だったのがクラゲ。今でもできますよ。「あれれー、波が荒くて流されちゃうぞー」って。
――朗らかに、芸能生活を送ってきたイメージが強いが、19歳のとき、発作的に茅ケ崎で入水自殺を図った。そのまま“海のクラゲ”になってしまったかもしれない。
あのときは、なんであんなことをしたのかしら。朝青龍さんが、突然お国に帰っちゃったことがあったけど、似た感覚だったかもしれない。体の大きさはぜんぜん違うけどね。
そのころ、過密スケジュールで寝る時間もなくて、いつも人目にさらされて。そんな毎日でよれよれになってた私は、気晴らしにかわいい便箋でも買おうと思って、日比谷のアメリカンファーマシーに行ったの。
そしたら、店員さんに「メイコさん、ヴァイタミンでも差し上げましょうか」って言われて、ああ、私ってそんなに疲れた顔してるのかしらって、何もかも嫌になっちゃったの。もちろん、彼女は親切心からで、悪気はこれっぽっちもないんだけどね。
そのままタクシーに乗って茅ケ崎に向かって、睡眠薬をちょっと飲んで、海へ入っていったの。だけど、泳ぎが得意だったもんだから、ずぶぬれになっただけでまた戻ってきちゃって。私のやることって、どこか漫画チックなのよね。
あのまま海の向こうに行っていたら、きっとクラゲになってたわね。クラゲの女王。その後の人生はおかげさまで幸せだったけど、クラゲはクラゲでよかったかもしれない。