



大会13日目の第1試合、常葉大菊川高校は近江高校に4-9で敗れ、ベスト8進出は叶わなかった。
試合が終わった直後のロッカールームには、ドリンクを配って回るなど、選手たちに気配りする久保田優佑君(3年)の姿があった。
「そこに自分の名前はありませんでした」
静岡大会決勝戦、サヨナラ勝ちで甲子園出場を決めたその日の夜の出来事を、久保田君は「高校の3年間で一番辛かったです」と振り返る。
「監督室にホワイトボードがあって、背番号1から18までのメンバーの名前が書いてありました。そこに自分の名前はありませんでした。
皆が甲子園を決めて喜んでる中、嬉しい反面、悔しくて、ずっと気が重いまま、夜も眠れませんでした」
県大会では、背番号19をもらい、仲間たちともに、優勝を勝ち取ったものの、甲子園のベンチ入りメンバーから外れることになった。
高橋利和監督が久保田君を呼び出し、こう声をかけた。
「ボールボーイとして、全力でチームの補助をしてほしい。そして甲子園を存分に楽しんでほしい」
練習補助員として、甲子園の土を踏むことになった。
久保田君が常葉大菊川への憧れをもったのは、常葉大菊川が2007年に選抜大会を制し、翌年の選手権大会で優勝したときだった。
「そのときは小学生で、自分も、(常葉大菊川の代名詞である)フルスイング野球をやりたいと思いました」
久保田君は2年春、上級生をさしおき、レギュラーとして活躍していたが、2年夏、そして2年秋とベンチから外れた。
3年春に、背番号9を奪還したものの、またもや夏の大会直前に、レギュラーから外れた。
「2年だったときは、自分が結果を残すことで、精一杯でした。3年になって、楽しんで野球をやれるようになりました。しかし、代わりの選手はたくさんいたので、結果がほしかったんですが……」