彼は抗がん剤の副作用をあらかじめ察知し、副作用で苦しむのを避け、残された時間が短くなっても自分らしく生きたいという道を選択したわけである。この話を聞いたときに、正直なところあまりにも「格好良すぎるなぁ」との思いがよぎった。
これが彼の美学なのだろう。またそれに踏み切る勇気にも感心した。
しかしその一方で、いずれこうなるとしてもその前にもっとやるべきこと、つまり生への執着があってもよいのではとも思った。当然、それぞれの選択があってよいが、まあ私の選択ではないなというのが率直な印象であった。
■抗がん剤治療を限界まで利用し、効力を見極める
それでは私はどうしたか。問題があるのは重々承知の上で、抗がん剤治療を徹底的にその限界まで利用し、がんと向き合おうと思った。私は様々な文献を通じて、抗がん剤治療には次のような固有の問題があることは十分に理解していた。
1)がんを根治するのでなく、単に患者の延命を図るだけである。
2)いずれ抗がん剤は薬剤耐性のために効かなくなる。
3)抗がん剤はすべての患者に効くわけでなく、その効果は個体差によって異なる。
4)同様に、副作用もすべての患者に一様に現れるわけではない。
このような極めて限定的な効果しか望めない抗がん剤治療であるが、とことんその効力を見極めてやろうと覚悟を決めた。
これが私の挑戦であった。私にはがん治療にあたり、これしか残された手段がなかったというのが最大の理由である。具体的には根治ができない以上、がんとできるだけ仲良くするしかない、つまり「がんとの共存」を目指すことにした。
がんが発覚して以来、当然、予想されたような様々な副作用に悩まされてきた。それでもQOLをある程度維持し、2年間は健常者なみの生活を送ってきた。これまですい臓がん特有の痛みなど全くなく、毎日の生活を大いに楽しんできたと言えよう。
■抗がん剤治療を受けていなかったら、人生は終わっていた
18年6月1日、安崎氏の訃報を知らせる記事が新聞各紙で報道された。3月頃、彼のことが気になりA君に尋ねたところ「痛み止めの処置はしてもらっているが、がん治療はしていない」とのことであった。