2007年12月撮影の、本誌連載開始時の西城秀樹さん。スターの風格が備わっていた(撮影/品田裕美)
2007年12月撮影の、本誌連載開始時の西城秀樹さん。スターの風格が備わっていた(撮影/品田裕美)
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「傷だらけのローラ」「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」などのヒット曲で知られる歌手の西城秀樹さんが5月16日、急性心不全のため63歳で亡くなった。

「2022年のデビュー50周年に向けて体調を戻したい。頑張ろうと話していたばかりでした」

 そう語るのは、西城さんのマネジャーとして30年以上、支え続けた片方秀幸さんだ。容体が急変したのは、4月25日夜。自宅で食事前に家族とだんらん中に倒れ、心肺停止状態になった。横浜市内の病院に救急搬送され、40分後には蘇生したものの意識は戻らず、医師には「もって4日」と言われたという。

「それでも家族と、親しいスタッフが見守る中、20日間もよく頑張った」(片方さん)

 そして16日午後11時53分。意識が戻ることのないまま息を引き取った。

 4月13日に63歳の誕生日を迎えたばかりだった。翌14日には、栃木県の足利市民会館で他の歌手と共に「同窓会コンサート」に出演。約100回続く名物コンサートで、全国からかけつけた「ヒデキファン」を前に5曲を熱唱した。すごい盛り上がりだった、と振り返るのは共演した伊藤咲子さんだ。

「秀樹さんもそれですごくうれしそうで。おちゃめな人だから、広い会場の1階席から2階席にいるファンに、それぞれ笑顔を見せたり手を振ったりする。すると、ファンの人たちは、キャーーッ!と、今にも失神しそうになるんです」

 自宅に戻った西城さんは、「大勢のファンが来てくれてね」と、コンサートの様子を妻の美紀さんと子どもたちに深夜1時過ぎまで話していたという。

 西城さんは1972年に「恋する季節」でデビュー。当時のキャッチフレーズは「ワイルドな17歳」。スターの座を不動にしたのは、79年の「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」の国民的ヒットだった。当時、マネジャーを務めていた天下井隆二さんは、西城さんと米国ロサンゼルスでヴィレッジ・ピープルの原曲を耳にした。79年の正月のコンサートの打ち合わせで、「Y.M.C.A.」をアンコールで披露することが急きょ決まったが時間がない。

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