北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。作家、女性のためのセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」代表北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。作家、女性のためのセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」代表
幸福な夜に、事件は起きた(※写真はイメージ)幸福な夜に、事件は起きた(※写真はイメージ)
 女友だちと月に2度、麻雀の会を開いている。天井の高いカフェで、じゃらじゃら手積みで牌を触りながら、ビールやラテを飲みながらの約4時間。私たちはほぼ、麻雀の話しかしない。皆が麻雀素人で余裕がないからというのが実際のところだけど、それでも終わった後は、まるで互いに人生を語り合ったかのような錯覚に陥るほど、私たちは深まる。いったい麻雀が偉大なのか、女友だちが偉大なのか。

 で、そんな幸福な夜に、事件は起きたのだった。麻雀を終えて女4人で地下鉄に乗った時のこと。ちなみに私たちは世代も職業もばらばらで、30代ダンサー、40代(私)、50代自営業、60代物書きの4人だ。その私たちの前に、男(推定50代、黄土色のスーツ)が座り、じろじろと4人をなめまわすように見つめ、そして大声で、こう言い放ったのだった。「お前ら、化け物みてぇだな」と。とっさに私は反射神経で「はぁ?」と威圧したけど男は動じずニタニタし「化け物―だな」ともう一回言ったのだった。それはもちろん「個性的ですね」といった好意的な意味ではなく、ブス、ババアといった罵りの声色である。

 次の駅で私たちは降りた。そもそも降りる駅だったけれど、留まってできたことを考えても、レベル低い罵声やヒールで足の小指あたりを踏むくらいのことしか思いつかなかった。

 ホームに立って私たちは、とたんに無言になった。牌に向き合う無言と違う種類の無言。気持ち悪さ、悔しさに支配される無言。そして30代が手をばたつかせ喉をかきむしりながら叫んだ。「気持ち悪い!! さっきまで幸せだったのに!!!」。そして私たちは深くため息をつく。これは初めてではない。違う場面、違う言葉、違う男に、何度もあってきた。いったい、私たちはいつまで、こんな思いを味わうのか。

 
 この国で女をやっていると、こういう目にあう。そのことを、私は男性に知ってほしいと思う。突然のテロのように、人生の一瞬を破壊されることがあることを。女の品定めを楽しむ男によって。そういう男を再生産させる文化によって。やらかした男に責任を取らせない甘さによって。被害者にも何らかの責任を負わすことが「平等」「人権」「民主主義」だというような感覚によって。声をあげた女の声を塞ぐ力によって。

“好きな男にされたら嬉しいこと”を、“嫌いな男にされたから嫌”というのがセクハラ。そんなレベルでセクハラを理解している人が日本のトップに多すぎて、呆れる。そうではない。セクハラとは、屈辱を強いることである。

 牌にはジェンダーがない。喉をかきむしる女友だちを見て、ふと、気がつく。トランプにはあるジェンダーがない。将棋はじめ多くの知能ゲームに共通する国盗りゲーム感覚も、麻雀にはない。……で? と思いながら、麻雀を一緒にできる女友だちを死守。そんなことを誰にともなく誓いたい気持ちになる。“ターゲット”にされた屈辱に震える、こんな夜には特に。

週刊朝日 2018年5月18日号