ジュンク堂書店創始者で、昨年秋に第一線から退いた夫・工藤恭孝さんと、現在も丸善ジュンク堂書店相談役を務める妻の泰子さん。阪神・淡路大震災を経て、大型店の全国展開を成し遂げた二人の、二人三脚の夫婦の軌跡を振り返った。
※「震災からわずか2週間で営業再開 ジュンク堂成功のきっかけとは?」よりつづく
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――震災後、「必要としている人に本を届けたい」と大型書店がほとんどない地方に出店を加速。ジュンク堂は全国ブランドになった。妻は、“社長の奥さま”として悠々自適の暮らしをしていたかと思いきや……。
妻:神戸の住吉の店舗のコミックの店長に。返品のへの字も知らなかったけど、朝から晩まで働きましたよ。レジから荷ほどきまで何でもやりました。小学生だった息子には学校から帰ってくると事務所で宿題をさせた。でも、気づいたら漫画を読んでましたね。(始める前は)「店番をしているだけでいい」と言われたんだけどな。
夫:女性も働いたほうがいいですからね。
妻:息子の中学入学を機に東京へ。それで、もう店をやらなくていい、東京ライフを楽しもうって思っていたら、会社に呼ばれて。嫌な予感は的中。今度も「店にいるだけでいい」なんて言われましたが、そんなわけはなかった。
夫:東京のプレスセンターに出店することになって、店長を誰がやるかと。うちは大型店ばかりだったので、あれくらいの中規模の店を任された社員は左遷されたと思ってしまうんですよ。とはいえ、場所柄、気を抜けない店でした。
妻:ナベツネさん(読売新聞グループ本社代表取締役主筆・渡辺恒雄氏)や地方紙の社長さんらによく利用していただきました。それから塩爺(小泉政権で財務相を務めた故・塩川正十郎氏)も。レジに2千円札がたくさん入っていると、ああ、今日はいらっしゃったんだとすぐわかりました。皆さん、本当に本をたくさん読まれるんです。
夫:店長は7、8年はやっていたかな。
妻:それ以降はね……。またそれは大変だったんですよ。
――1男2女に恵まれた夫婦。子どもにぜいたくはさせず、厳しくしつけた。その一方、「勉強しろ」とは一切言わなかったという。
妻:食事のときは静かにしていなさいとか、子どもたちには厳しかったですね。娘2人は携帯電話を持つのは大学生になってからと言われていた。長女は携帯を大学生になって初めて自分で買いました。