大センセイが「これが包み隠さぬ一角」と思ったことは?(※写真はイメージ)
大センセイが「これが包み隠さぬ一角」と思ったことは?(※写真はイメージ)
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 SNSで「売文で糊口をしのぐ大センセイ」と呼ばれるノンフィクション作家・山田清機の『週刊朝日』連載、『大センセイの大魂嘆(だいこんたん)!』。今回のテーマは「それぞれの一角」。

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 世の中の大半の人は、自分を一角(ひとかど)のものだと思って生きている。

 社会的に地位の高い人だけでなく、チンピラだろうと万年平社員だろうと、とことん馬鹿にされたり、とことん蔑ろにされたりすると“自分の一角”を持ち出して、心の均衡を図ろうとする。

 若かりしころ、ある公務員のおじさんが高校を卒業して就職するという甥っ子に向かって説教をしている場面に遭遇したことがある。

 公務員おじさんは、甥っ子を目の前に正座させるとこう言った。

「いいか、会社に入ったら絶対上の人の言うことに従うんだぞ。それが社会人として一番大事なことだ。俺はな、これまで一度も上司に逆らったことがないんだ」

 一瞬耳を疑ったが、この「一度も上司に逆らったことがない」こそ、公務員おじさんの一角であることに、大センセイ、後になってから気づいた。

 ノンキャリアの彼は、キャリア官僚の(たぶん横柄な)態度にはらわたの煮えくり返る思いを何度もしながら、黙ってそれを耐え抜いたのだ。それが、彼の勲章だったに違いない。

 かように一角とは、傍から見れば滑稽だったり、哀しかったりするのだが、では、大センセイの一角とはいったい何であろうか。

 たしか30代のなかばだったと思うが、月末の家賃も払えないほど食い詰めて、週払いのアルバイトに出たことがあった。仕事は工事現場の補助作業である。

 このバイトは、肉体的にキツイというよりも、精神的に辛かった。

 初日、朝の7時ごろワゴン車に乗せられて工事現場に向かったのだが、なにしろ真冬で寒かったので、缶コーヒー好きの大センセイはすぐに御叱呼がしたくなってしまった。恐る恐るちょび髭の親方に御叱呼の許可を求めると、

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