


社会風俗・民俗、放浪芸に造詣が深い、朝日新聞編集委員の小泉信一が、正統な歴史書に出てこない昭和史を大衆の視点からひもとく。今回は「アルサロ」。レッドパージ、朝鮮特需……。アルバイトサロンの第1号店は1950年に大阪・ミナミでオープンした。ホステスは女子学生やOL、主婦ら。「疑似恋愛」を求める男性客たちがこぞって来店した。関東にも伝播し、一大ブームを巻き起こした。
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スナックにしろ大衆キャバレーにしろ高級クラブにしろキャバクラにしろ、その魅力は「疑似恋愛」にあるのかもしれない。「あ~ら、○○さん。久しぶり。会いたかったわあ」。ホステスからそう言われれば、ウソでもうれしいものだ。
同伴やアフターの誘いをひそかに期待している男性もいるだろう。店外デートを繰り返すうちに「今夜こそ、もしかしたら……」。ついつい、よからぬ思いを抱いてしまう。
だがくれぐれもご用心。遊びとは、一線を越えないからこそ遊び。そのあたりのさじ加減を間違えると大変なことになる。
今回は「疑似恋愛」のルーツともいえるアルバイトサロン、略してアルサロの話である。「素人の手作り接待」を掲げ、昭和25(1950)年、大阪の盛り場ミナミの千日前に開店したアルサロ第1号「ユメノクニ」について語ろう。
キャバレー太郎ことキャバレー「ハリウッド」の会長で実業家の福富太郎さんの著書『昭和キャバレー秘史』によると、ユメノクニは女子学生やOL、主婦など素人女性を保証給(日給200円)で採用していた。ビール200円、つきだし100円。サービス料20%がかかり、計360円が基本料金だった。指名料は200円。指名料の半分はホステスの取り分だったそうである。
国家公務員の初任給は当時4223円だった。高いのか安いのかよく分からないが、店の前に飾られた看板の宣伝文句が目を引く。当時の写真を見ると、こんな言葉が書いてある。
「来る日も来る日も/会社と家の往復/その中間に/ユメノクニがある/あすの為に今日がある/はたらく為に/レジャーがある/あなたの為に/ユメノクニがある」